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珈琲の大霊師140

「潮の香りがしてきました!」

「ああ!帰ってきたな!」

 ジョージとモカナは馬車の扉をガバッと開けて、思い切り空気を吸い込んだ。

 小高い街道から眼下に見えるのは、水の都貿易都市マルクだ。海面が乱反射して煌めき、海から吹き上がる潮風がモカナとジョージの髪を梳いていった。

 ジョージ達は、帰ってきたのだ。

 二人がはしゃいでいる中、リフレールだけは何か思い詰めたように押し黙っていた。

「おい、どうかしたのか?」

 目ざとくそれを見つけたジョージが声をかけると、リフレールはビクッと肩を震わせてジョージの顔を見上げた。

「あ、いえ、揺られて少し疲れただけです」

「……ふうん?」

 何かあることをジョージは敏感に察知したが、全く思い当たる筋が無かった。

 リフレールも、ジョージに感づかれた事に気付いたが、内容までは悟られてないとジョージの態度から看破していた。

 マルクには、サラクの国交の為に来ている。表向き、そういうことになっているし、実際その通りだが、リフレールにはそれより重要な意味合いがあった。

 リフレールにとって、人生でもっとも重要になるかもしれない大勝負。それを仕掛けると、リフレールは心に決めていたのだった。

「お!ジョージ!!ジョージじゃねえか!!」

 西門に着くと、ジョージを見つけた衛兵が、仕事そっちのけで駆け付けてきた。

「なに?ジョージが来たのか!やっとかこの野郎!」

「この野郎!うまくやりやがって!おかえり!」

 瞬く間に衛兵の群れが馬車を取り囲んだ。門を通る人々は、何事かとその馬車に目をやって、サラク王家の紋章を見つけて二度見した。

「久し振りだなお前ら。変わんねーな!」

 ジョージはサッと降りて、衛兵たちにもみくちゃにされながら、互いの体を叩きあった。

「お姫様も久し振りだな。サラク、纏まったって?おめでとう!」

「ありがとうございます」

 リフレールは、笑顔を作って応える。

「お前、抜け駆けか!?おめでとう!」

「「おめでとう!おめでとう!」」

「サラク万歳!マルク万歳!!いえー!」

 突然始まった万歳三唱に、リフレールは顔を真っ赤にして恥ずかしがった。物凄く目立っている。

「や、やめて下さい。これでも公務で来てるんですから」

「「万歳!!万歳!!万歳!!」」

「も、もう!やめて下さい!」

 こんな開けっ広げに祝われる事はサラクではなかなか無い。そもそも、こんなフレンドリーに王族と接する事が許されてないからだ。

 こそばゆいような、嬉しいような、そもそも祝われたり誉められたりする事が少なくて免疫の無いリフレールは、つい乗せられて、心から笑ってしまったのだった。

 リフレールが笑顔になったのを見て、衛兵の一人がジョージにグッと親指を立てて見せた。

 ジョージは、それをリフレールが元気が無かったのを、上手く笑顔にさせてやっただろ?という意味だと思ったが、実はもっと深い意味があった。

 知らないところで、何かが進行していることを、ジョージはまだ知らない。



「これが、二つの国を結ぶ珈琲ですか。深い味わいですね。それに、この菓子との組み合わせ……。ほぅ、美味し過ぎて罪を感じますわ」

 巫女長の満足げな溜め息に従って、重役の巫女達も揃って熱い溜め息を吐いた。

 ここは水宮。旅の報告と、今後の協力関係を取り付けるために用意された席で、ジョージとモカナは思うまま腕を振るった。

 サラク王国の安寧に祝いの言葉もそこそこに、長い間美味しい珈琲を飲めなかった巫女達は、早速美味しい話題に飛び付いたのだった。

「因縁のあるマルク、サラク、ツェツェの三国が揃わねばなしとげられなかった珈琲です。サラクは、この珈琲を世界に向けて発信していく予定でおります。是非、マルクでもご協力を賜りたく……」

「あぁ、いいんだリフレール。そんな他人行儀にしなくて。こっちは元よりそのつもりだ。その、カフェといったか?珈琲と甘味を楽しめる飲食店。こちらから頼んで誘致したいくらいだ。今から楽しみだな」

 珈琲片手に、にこやかに笑ってそう言ったのはユルだ。傍らにはモカナがいて、その頭を撫でている。

「ありがとうございます。カフェ2号店は必ずマルクに建てますわ」

 ひとまず胸を撫で下ろすリフレールだった。

「やだわ私通いつめちゃいそう。それにしても美味しいお菓子だわ。もう1つ頂きましょ」

「水宮の側に1つ。市場にも2つ程建てたらいかがでしょ。きっと人気がありすぎて、一軒では足りませんよ」

「そうですねえ。巫女だけでも日に200人は利用しそうですわ。珈琲、足りるのかしら?」

「ツェツェには、沢山豆が残ってますから、大丈夫ですよ」

 モカナが、大きな身ぶりで沢山を表現する。

「あら、でもマルクで作った珈琲豆はそれに比べたら少ないのではなくて?」

「マルクの珈琲豆の方が混ぜる比率が少ないので、多分今年くらいは凌げると思います。しかし、あの時の珈琲の実がどこの産地なのか結局分からなかったので、こちらの商人に話をつけて珈琲の実の安定供給と、品種の拡大を続ける予定です」

 珍しく丁寧語を話すジョージ。

 その言葉に、巫女達はうんうんと頷く。

「ジョージさんもすっかり国の代表といった雰囲気になりましたね。サラクの繁栄が目に浮かぶようです」

「ん?えっ?」

 何か聞き逃してはならない台詞を聞いたような気がして、ジョージは聞き返した。

「あら、隠さなくてもいいのよ?ご婚約、されたんでしょう?」

 眩しいものを見るような目で、さらりと言う巫女長に、ジョージは驚愕を隠さなかった。

 議会の間にモカナを残して、ジョージはリフレールと共に廊下に出る。

 ジョージの額には冷や汗が浮かんでいた。リフレールは、それを物珍しそうに見ていた。

「どうなってやがんだ?何で俺とお前が婚約したなんて話になってんだよ?」

「その、私も初耳なんですが……ご迷惑おかけしてすみません」

 リフレールは殊勝にも、頭をぺこりと下げた。

「あぁ、いや……。お前こそ迷惑だろ?サラク王女が、こんなどこぞの馬の骨とよ?明らかに悪評だろ」

 リフレールを責めるような口調になってしまっていたのかと、ジョージは自分自身に心の中で舌打ちしながら、それを誤魔化した。

 軽い動揺。

「いえ……、私は、迷惑じゃありません」

「え?」

「私は、迷惑なんて、思いません」

 ハッキリと、ゆっくりとリフレールは宣言した。それの意味する所が分からない程、ジョージも鈍くはない。

 言葉など不要だったかもしれない。リフレールの頬は赤らみ、目は潤み、さっきの言葉がいかに勇気を出して絞り出した言葉かを雄弁に語っていた。

 それ以上に、リフレールから立ち上る何か。王族の血の成せる業なのか、全身から立ち上る色気にも似た、甘くて蠱惑的な雰囲気がジョージに絡み付いていた。

 思わずジョージの喉が鳴る。心臓が高鳴る。リフレールが、自分を求めている事を本能が感知する。

 当然だが、リフレールは良い女だ。知性、美貌、どれを取っても一級であることは言うまでもない。これが、ただの街娘だったらジョージも平気で口説いていたに違いない。

 サラク王女だからという先入観もあったし、仲間だという想いもあって、旅の中では極力意識しないように心がけてきたのだ。

 その、ジョージが作った境界線を、リフレールの方から乗り越えて来たのだ。

「あれっ?もう終わったさ?」

 二人の声を聞き付けて、外で待っていたルビーが駆け寄ってくる。

「え?……あ、あぁ、いや、まだだ。この中暑くてよ。ちょっと、涼みに……な?」

「あ、はい。そうなんです」

「……ふぅーん?」

 二人とも顔が赤い。それに、二人を取り巻く雰囲気が明らかにいつもと違った。

「ははぁん」

 にやり、とルビーはリフレールに意地の悪い笑みを向けた。

「な、なんですか?ジョージさん、そろそろ戻りましょう」

「お、おう。そうだな」

 その空気に耐えられないといった風で、ジョージは扉の向こうに消えた。続いてリフレールが扉に手をかける。

 そして、ルビーの方を振り返った。

 二人は、目配せして、笑顔を交わすのだった。

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