珈琲の大霊師211
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第28章
泥の王
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その当時、大陸を二分するとまで言われた二つの王国があった。平和を保とうとする穏健派のささやかな抵抗は実らず、現在も必ず歴史書に記される大きな大戦があった。
半世紀に渡って続けられたこの戦争は、互いに国が富み、互いに1つの暗黙のルールを守っていたからこそ長期化した。
それは、焦土作戦を行わない事。
当時はこの大陸においての戦国時代の末期。奪う領地が焦土では意味が無い為、戦国の習いとして広まり、それは100年以上の間守られ続けていた。
だが、半世紀に渡る戦争の中、そんな暗黙のルールが保たれるはずもなく。
敵の国力を削る最も効率的な手段として採用されると、互いに焦土作戦を用いるようになり、戦争末期には焦土作戦ばかりが国境に広がっていた。
男手が減り、耕作可能な土地も減り、戦争は大量の餓死者を生んで終結した。
最早、取り返しのつかない規模の荒地を前に、人々は己の業に慄いた。
焦土化は砂漠化を呼び、砂漠化が更なる飢饉を招き、大戦終了後の10年間に億を超える餓死者が出た。
その恨み、その悲しみ、その苦しみは雨に流される事無く大地に溜まり続け、そして世界に絶望した土の精霊使いが引き金を引いた。
食欲の権化、永遠の餓鬼、泥の王。
数多の二つ名を持つ、歴史上の怪物が生まれたのだった。
死と狂気によって練り上げられた、一塊の泥。最初、それが泥の王だった。
ある日、いつものように斥候を放ったら、その内の1人が帰ってこなかった。戦争では当たり前の事だから、誰も気にしない。その部隊の連中が、知らない内にいなくなったと証言すれば大体は逃亡扱いで処理されて終わりだ。
森に入った樵が消息を絶った。戦争ではままある話だ。
野いちご摘みの少女が消息を絶った。大方敵に捕らえられ慰み者にされたのだろう。戦争ではよくあることだ。
そんなよくある不幸にまぎれながら、それは存在感を増していった。
そしてある日、1つの村が一夜にして消えた。
その村には、貴族が戦線から逃れて生活していた。そこで初めて国が重い腰を上げて調査を開始した。
そして調査団は誰も帰って来なかった。
その頃、戦線では異常が続いていた。戦場に、謎の痕跡が散見されるようになったのだ。それは、不浄な泥を引きずったような跡。誰が何の目的で、こんな泥を引きずったような跡をつけているのか?軍隊行動であるのなら、何の意味があるのか?両陣営で憶測が飛び交った。
しかし、それは真実に行き着くことはなく、とうとうその時を迎えてしまった。
戦闘が始まり、血飛沫の飛び交う戦場で大きな悲鳴が上がった。戦場で悲鳴は上がらない。戦場は戦士達の場であるからだ。傷つくのは自らが弱いからであり、無様な悲鳴は新兵でもない限りは出さないものだ。
歴戦の勇士もその場にいたが、失禁し、ただ喉を震わせて絶叫するしかできなかった。
大勢の躯、腐りきった肉、それらを泥として体に纏う、巨大な泥の塊が現れたのだ。
戦線は総崩れ。逃げ惑う兵士達に、呑まれていく兵士達、中には知恵を働かせて火を撒く者もいたが焼け石に水であった。
ただ「呑む」というだけのシンプルな行為は、誰にも止める事ができず、両軍で2万という死者を出してしまったのだった。
しかし、それ以来、泥の王は戦場に現れる事は無かった。
その代わり、各地で散発的に行方不明者が出るようになり、人々は夜に森に入ると泥の王に食われると噂し、それは言い伝えとなって残った。
そうしている間にも戦争は続き、多くの死者を出した挙句、両国の国境線が全て焦土と化してやっと戦争は終結した。戦場跡は、数多の死霊のうろつく地獄となって、誰も近づく事は無かった。
いや、いた。
戦争終結と同時に、それまで産めよ増やせよの政策を取って来た反動で食料の絶対数が足りなくなったのだ。生き延びる為、両国は各集落に対し年寄りや傷病軍人、病弱な者、障害のある者を国境線の開墾に送るように指示した。
言うまでも無く、それは口減らしの為だった。
申し訳程度の食料を奪い合い、夜は死霊に脅かされ、昼は兵士に見張られ過酷な作業を行う。死んだ者は昼間の内に国境線の近くに廃棄され、翌日には骨も残らなかった。
怨嗟、恐怖、憎悪、狂気、人間のありとあらゆる闇の感情が国境線を覆い、伝承の魔物が到来するのは必然と言えた。
それは、波のように押し寄せた。最初、ひたひたと地面を流れる雨のように粘ついた波が来た。
人々は、土石流でも来るのかと波が来た方向を見るが平地だ。土石流など起きるはずが無い。となれば、この波はなぜ進む?
言葉にできない不安を胸に、そこから抜けようとした人々は、自分の足がいつの間にか泥の下になっている事に気づけなかった。
動かない。
サッと、背中を悪寒が駆け下りた。絶叫を上げながら体を暴れされるが、泥に埋まった足はびくともしない。そこに、そいつが姿を現した。
平らに伸びていた泥の一部が泡立つように盛り上がり、そこに巨大な穴が二つ開いて、刳り貫かれた双眼の如く逃げられぬ贄を見下ろした。
地上の悲鳴をかき消す程の怨嗟の声を上げて、猛然と襲い掛かる泥の王に成す術は無く、この日両国の国境線は全て泥と化した。
ただそれだけであるならば、両国の権力者を喜ばせるのみであったが、そうは問屋が降ろさなかった。数十万という人々を飲み込み、急激に巨大化した泥の王は手近な集落に次々と襲い掛かっていったのだ。両国の国土の2割近い地域が泥に呑まれてやっと、両国は泥の王に対し共同して対処する事を決定。
その時代の大精霊、及び大霊師達を召喚した。
大霊師―――
精霊使いの中でも、世に変革を齎す程の力と実績を持つ者に与えられる称号。現存する歴史書の中でも、100年に2人程度しか現れない、超常の存在。
キビトは、樹の大霊師と呼ばれた男の娘で、大樹と化し動けぬ父親に代わって両国の泥の王対策会議へと姿を現したのだった。
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