珈琲の大霊師156
ドアの向こう。
「ツァーリ」
「なにぃー?」
ボッと、炎を巻いてツァーリが現れる。その手の先にはサウロもいた。
「サウロから手を離すんじゃないさ?あたいから精気を送ってる間は、サウロも契約の外にいられるさ。もし手を離すと、契約に従ってサウロはリフレールに呼ばれるさ」
「分かった。離さなくていいってワケー」
何故か嬉しそうに、ツァーリはサウロの手を握り直した。
「後は頼んださ。あたいは、もう一仕事してくるさー」
「行ってらっしゃーい」
駆けていくルビーを、上機嫌に手を振って見送るツァーリ。
「……ルビーは、自分が言う程頭は悪くないと思うんだけど」
サウロが呟くと、ツァーリは更に嬉しそうに笑った。
「今頃気付いたワケ?当たり前じゃん!あたしの契約者なんですけどー?」
「……なるほど」
「……えへへ」
サウロは素直に納得していた。ツァーリの実力を認めている証だ。
ツァーリは、それがくすぐったいようで、もじもじしていた。
「やっぱりここにいたさ。ジョージ、ちょっと」
同じ水宮の一角。一階の小さな厨房にジョージはいた。その傍らには、モカナの姿もある。
モカナの泊まる客室が一階で、厨房に近い部屋を頼んだ為、ジョージは珈琲が飲みたくなるとここに来るのだ。
「なんだ?お前も珈琲飲みに来たのか?」
「リフレールが、拉致られたさ。犯人はリフレールをどこかに隠したらしくて、一人で逃げてる最中さ。あたいはそいつを追うから、あんたはリフレールを探すさ!多分、水宮のどこかにいるはずさ」
「……リフレールがおめおめ捕まる玉か?サウロがいるだろ」
「あたしら精霊使いは、気を失ったら精霊を呼べないさ!不意をつかれたら、腕っぷしの弱いリフレールじゃ何もできなくなるさ」
「……冗談じゃなさそうだな。分かった。そっちは頼んだ。モカナ、お前はここにいろ」
ジョージは珈琲を名残惜しげに置くと、振り返らずに駆け出した。
既にジョージの脳裏には水宮の地図が広がり、外部の犯人が侵入できる部屋の中で人が通らない場所をリストアップしていた。
そのジョージを見送るモカナが、怪訝な顔をしてルビーを見詰める。
その肩では、ドロシーが目を丸くしてルビーを見ていた。
「あぎゃ?嘘つき?嘘つき?」
「あちゃ、そういやドロシーも水精霊だったさ。モカナ、黙っててくれるさ?」
「どうしてそんな嘘をつくんですか?」
「あたいにだって、友達を応援したい事だってあるさ」
「??」
「なんでもないさー。あー、モカナ珈琲淹れて」
「はい」
とりあえず、モカナはルビーの言うことを聞くことにした。
真っ直ぐなルビーを、それだけ信頼しているからだ。
それに、モカナには珈琲を淹れることくらいしかできる事が無いから。
ジョージがいつ戻ってきても良いように、豆の準備だけはしておこうと思うモカナだった。
水宮1階の奥にその部屋はあった。いわゆる倉庫とか物置とか呼ばれる小さな離れだ。
中は最近まで珈琲豆が詰まっていたが、殆どをサラクに輸送した為、今は何も無いはずの場所だ。
離れだから、外から侵入するにも苦労しないし、逃げることも容易だ。
急いで隠すなら、この場所にする。と、ジョージは当たりをつけていた。
ドアに手をかけると、中から気配がした。一人だ。
もし犯人である場合、先制する為に機先を制するべくドアを勢い良く開け放つ。
バンッ!!と、ドアが壁に当たって、同時にジョージは屋内に踏み込んだ。
気配が、息を飲んで「怯える」のが分かった。
暗くてまるで見えないが、奥の方に気配を感じる。
辺りには袋から落ちた珈琲豆が散乱していたが、奥の方には何かが積まれているのが見える。
(気配はリフレールか。罠の可能性もあるな。灯り無しじゃ心細い)
そう思って一度外に出て辺りを見回すと、丁度誰かが置いていったランタンがあった。
ジョージは、それに手早く火を点けて、再度屋内に踏み込んだ。
薄暗い倉庫の中、奥には珈琲豆の袋と、不要になった毛布が山積みにされていた。その上に、見慣れた金髪が見えた。
そこで足を止めて辺りを窺った。
気配は無い。
リフレールに近づいて照らしてみると、リフレールは薄い部屋着のままで、暴れたのか裾は乱れていて艶かしい。
単純だが強固に足、手首、猿轡で拘束されている。
「……縛られてるのか。おい、聞こえるか?」
ビクンとリフレールが跳ねるように身を固めた後、急に全身から力が抜ける。
「今から、拘束解くからじっとしてろ」
リフレールは、大人しく首を縦に振った。
「怖かったか?よし、これで最後だ。っ!?」
拘束が全て解けた途端、リフレールが跳ね上がった。完全に油断していたジョージをひっくり返し、押し倒す。
「おい!?俺だ、ジョージだって」
「……ジョージさん。私、汚される所でした」
「なっ!?」
瞬間的にジョージの頭に血が昇る。しかし、なぜ血が昇るのか不思議に思う自分もまたいたのだった。
「ジョージさん以外の誰かが来たら、私は何の抵抗もできずに、誰かの物にされてたんですよ。ジョージさん、何も感じないですか?」
「……お前がそんな目に合わされるかと思うと胸くそ悪いな」
「……だったら、だったら、……ジョージさんの物にして……ください。誰かの物になる前に」
リフレールの目は、濡れていた。その顔は心に深く突き刺さる。
ああそうか……と、ジョージはそこで初めて自分もリフレールに好意を抱いている事に気づいた。それは、穏やかな物で恋焦がれるとまでは言えないものだったが。
「……俺は、王族にはならないぞ?いいのか?」
「それでも、ジョージさんしか考えられないんです。縛られている間、ずっとジョージさんの事ばかり考えてました。王族でも何でもない、ただのリフレールを、だ……んむっ!?」
リフレールの言葉を遮るように、ジョージは唇を重ねた。優しい、触れるだけのキスなのに、ずっと待ちわびていたリフレールの体は、それだけで緩やかに開き、目を潤ませた。
「それ以上言わなくていい。ったく、俺の何が良いんだか知らないけどよ。始めたら痛がってもやめないからな?」
「クスッ、大丈夫です。王族ですから」
「お前な、早速前言撤回してんじゃねえよ」
「あ、本当ですね」
薄暗い灯りの中、二人は笑い合って、再び唇を重ねた。今度は、互いに舌を差し込み、存分に相手を味わうのだった。
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