見出し画像

珈琲の大霊師173

「俺とモカナは、買い付けに行ってくる。クッション選びたかったら着いて来い。別に適当に過ごしててもいいけどな」

 朝食を終えた後、モカナの珈琲を飲みながらジョージがそう言った。ルビーとシオリは顔を見合わせた。

「ん~。ここにいてもつまらないし、あたいは着いてくさぁ」

 言ってから、珈琲を一口飲む。ふわりと複雑な香りが体中に満ちるような感覚がルビーの頭をしびれさせた。

「あたしも、一人はちょっと……」

 と、ほわっとした顔で言うのはシオリだ。朝食後に、厨房を貸して貰ったモカナがジョージ発案の略式珈琲を試に淹れた物だ。宿のカウンターには、天国に行きそうな顔をした店主がいる。

「はぁぁ……こんな、こんな、わしの人生は、何故こんな良い物を知らずに過ごしていたのか……。ううむ、美味い。ううむ。美味い」

 つぶやきながら、少しずつ愛おしむように珈琲を啜る。完全に我を忘れているように見えた。

「よし、そんじゃあ飲んだら行くぞ」

 と、ジョージはカップをあおる。そして、深く息を吸って、吐く、口内に満ちるアロマで体を満たすかのように。

「その一杯が時間かかるさね……ふぅ」

 ルビーも、口の中の絶妙な苦味と、エキゾチックな香りに脳髄まで支配されているかのように、少しずつ少しずつ珈琲を飲む。

 そんな様子の皆を見て、モカナは満足そうににこにこ笑って、傍らのドロシーと密かにハイタッチして喜ぶのだった。

 ドバードの市場は、マルクのそれに勝るとも劣らず混雑していた。ここは、アディア連邦の陸の窓口だけあって沿岸部の都市群から運ばれる海の幸や、遠くの国の品などが多種多様に流通しているのだ。

 沿岸部の商人は、内陸の商品を、内陸の商人は沿岸の商品を買っているのが傍目にも分かる。

 市場は橙と白のレンガを交互に敷き詰めた広大な広場で、庇のついた簡易的な店舗が列を連ねていた。

「うへぇ、マルクの市場も人がいすぎて気持ち悪くなったけど、こっちも負けてないさぁ。潮の臭いがしないだけマシかもしれないけど」

「古書の列は無いのかなぁ?」

「いや、こんな露天に本は出さないだろ。もし出てたら、よっぽど希少価値が無いものじゃないか?」

「分かってませんねぇ。そういうものの中に掘り出し物があったりするんですよ」

 と、シオリはきょろきょろと落ち着き無く辺りを探している。前を見ていないので、時々ルビーの肘鉄を喰らうはめになった。

「珈琲の実は見当たりませんね」

 モカナもモカナで、お目当ての物が無いかと目を光らせていた。言われてジョージもざっと周りを見渡す。考えていなかったが、新しい珈琲の産地が見つかれば、また新しい味を知ることができるのだから、見逃すわけにはいかない。

「……仕方ねえ。時間はかかるが、ざっと全体を見てくとしよう。珈琲の実、クッション、食料な。ほれ、モカナ、この人ごみじゃ逸れるぞ。手出せ」

「あ、はい!」

 モカナは、嬉しそうにジョージの差し出す手を握った。その顔を見て、ジョージも微笑む。そんな二人を見て、何となく面白くなくてルビーはモカナの空いてる方の手を握った。

「モカナがふっとばされないように、あたいも捕まえといたげるさ」

「………」

 そして、シオリに手を差し出す者は一人もいなかったのだった。

(いいけど!!子供じゃないからはぐれないし!まだそんなに仲良くないし!でも、なんか切ない!なんで!?)

 シオリの空いてる両手が所在無げににぎにぎしているのを知らずに、ジョージ達はさくさくと人並みを掻き分けていくのだった。

 最初に見付かったのは、クッションを多数扱っている家具屋街だった。

「わぁ!見てくださいジョージさん!これ、動物に似せてありますよ!可愛いなぁ……。猫さん……」

「モカナは子供さね。あたいは普通ので十分さ」

「そうなんですか?ルビーさんには、これが良いと思ったんだけどなぁ」

 と、モカナは白いクッションを抱き上げた。それは、体を丸めたヤギを再現したクッションだった。ご丁寧に髭までついている。

「んむっ………」

 ルビーの唇がきゅっと引き締まる。不満そうなその表情とは裏腹に、ルビーの大きな瞳はくりくりと忙しげにそのクッションを捉え、逃げを繰り返す。

 その様子を見たモカナが、珍しく意地の悪そうな顔をして、目を細めた。

「我慢しなくて良いんですよー?ほらほら、撫で心地の良いお髭ですよ~。ルビーさんが買わないなら、他の人に持ってかれちゃいますよ~?」

 言いながら、ヤギのクッションを胸に抱え視線を剃らすルビーの視界にしつこいくらい付いて回る。

「なんだ、ルビーはヤギが好きなのか?」

「ルビーさんから聞いたことは無いですけど、ビルカ君が生まれた時から飼ってるヤギがいるんですよ。毎日ルビーさんがお世話してるの、ボク見てました」

「なるほど」

 ニヤニヤとジョージがルビーを見下ろす。ルビーは顔を真っ赤にして、キッとモカナを睨むと、目にもとまらぬ早さでヤギのクッションを奪った。

「なにさ!こんな髭、マルコに比べればごわごわで触り心地悪いさ!こういう髭は、ちゃんと櫛を通さないといけないのさ。なっちゃないさね」

 言うが早いか、いつの間にか取り出した櫛で、クッションの髭を解かし始めた。

 その時のルビーの表情は、確かに少女のそれなのに、何故か母性を感じた。慈しむ意思、包み込む愛。

 少女の外観と母性、普段の言動とのギャップが胸のどこかを抉り抜く。

 毛玉になっている部分を無理矢理伸ばさず、器用に指で解かしてゆく。

「ほう、手慣れてるね嬢ちゃん」

 興味を引かれた店主が身をのりだし、ルビーの手元に視線を落とす。

「まぁね」

「いやー、このクッション山間の村から買ってるんだけどね。ヤギは人気無くてなぁ。愛想の無い顔だろ?もう作らないってんで、それ最後の一個なんだわ」

「えっ?何でさ!ヤギは可愛いさ!なぁ?」

 同意を求めるが、モカナは目をぱちぱちした後、苦虫を噛み潰したような顔をした。

「はい。可愛いですよね」

「モカナ、無理してフォローしなくて良いんだぞ」

 バレバレだから。という言葉は飲み込むジョージだった。

「あ"っあ"っあ"っあ"」

 しかし、何かを察したのか勝手に現れたドロシーがルビーを笑った。

 モカナの表情と、ドロシーの笑いを見て、ルビーはヤギクッションを抱いたままぷいっとそっぽを向いてしまった。

「ジョージ!あたいこれにするから、支払いは任せたさ。モカナ、後で覚えてるさぁ……」

「ひえっ」

 睨まれてしゃっくりにも似た悲鳴を上げるモカナ。

 一部始終を見ていたシオリは、二人のやりとりが可愛くて可愛くて緩みきった顔をしているのだった。

只今、応援したい人を気軽に応援できる流れを作る為の第一段階としてセルフプロモーション中。詳しくはこちらを一読下さい。 http://ch.nicovideo.jp/shaberuP/blomaga/ar1692144 理念に賛同して頂ける皆さま、応援よろしくお願いします!