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珈琲の大霊師148

 午後になって出勤したルナに事情を聞く為、水宮の巫女長ケルンは廊下を歩いていた。

 そもそも、ほとんどの巫女は寮で生活している為、遅刻という事態がまず無いことだったし、ケルンが暇をもて余していたという事もあった。

(ゴウさん、最近見ませんね……。あっちで、よろしくやってるんでしょうけど。もう、とっくに契約期間は終わってるはずなんですが)

 数ヵ月前、リフレールの使者から応援要請を受け、我こそはと立候補したのがゴウだった。

 ゴウは、巫女長付きの近衛衛士だ。このマルクで巫女長に就任する程の精霊使いを、守るという事自体がナンセンスという話もあるが、ともあれマルク衛士随一の武力を持つゴウは、常に巫女長の傍らにあった。

 本人の希望だから許可したのだが、ゴウには普段他人に見せられない姿を見せ、弱音も吐いてきた。精神的にも肉体的にも安定しているゴウを側に置いている事は、ケルンにとっても心強い事だったのだ。

 最初、反対したケルンにゴウは言っていた。

「俺より強い奴が、それこそ伝説と手合わせできる、唯一のチャンスなんです。巫女長様が、頼りにして下さるのは嬉しいですが、俺は、この職を失っても行きますよ」

 本当に辞められては困ると思って、慌てて許可を出したものの、もうゴウは帰って来ないのではないかと思い始めていた。

 と、考えている内にルナの職場に着いた。

 現在ルナは、水宮の上級巫女として、主に病害や、海洋汚染に関する部署で働いていた。

 時に出張する事もあるが、基本的にはマルクから出ることは無い仕事である。

 ドアノブに手を掛けようとすると、中できゃいきゃいとはしゃぐ巫女達の声が聞こえた。

「ほんと、一晩で何があったのよ。あんた、本当にルナ?何ていうか、その、綺麗になったわねえ」

「新しい美容法でも見つけたの?なんか、きらきらしてるけど」

「えへへ。まあその、ご想像にお任せします」

「まあ!聞きました?あの男勝りのルナが、えへへですってよ!?あなた、本当に大丈夫?あれほど拾い食いをしてはならないと……」

「してませんってば。……あたしって、そんなに女らしくありませんでしたっけ?」

 ケルンは、興味を引かれてノックをせずに、そっとドアを開いた。

 ケルンの目に飛び込んできたのは、一番目立つ華やかな気配の女。それは、ルナだった。

 まるで、全身から光を放っているかのような、花開いた蕾から薫るかのような、明るく、見ているだけでこちらまで明るい気分にさせられてしまうような、そんな雰囲気を纏っていた。

「まあ!本当に何があったんですか?」

 思わず巫女長も大きな声を上げずにはいられなかった。今日のルナは、いつもと明らかに違っていた。

 まず仕草が柔らかい。ゆったりとしていて、しなやかで、いつもは大雑把でがっしりとしたイメージなのに、今日はここにいる誰よりも女らしかった。

「えっ!?巫女長様!?……あ、そっか。遅刻したから。巫女長様、遅刻してすみません」

 遅刻という言葉を発する前に、一瞬ルナの顔に朱が差し、顔が緩んだのを、ケルンは見逃さなかった。

 こういう顔をする巫女を、時々見かける事を、ケルンは思い出した。

 それは、入りたての頃の新人巫女達が恋の話をする時の顔だった。

「……あー、あー、ルナさん。その事で、ユル様がお呼びですよ。一緒に参りましょう」

 言ってからしまったとケルンは思った。ここは水宮なのだ。嘘がまかり通るはずがない。

 が、幸い話に夢中でその部屋の誰も精霊を呼び出していなかった。

「ユル様が?……はい。行きます」

 少しだけ顔が引き締まって、いつものルナの顔になった。

 なんとなく安心して、ケルンは先を歩く。

 この時間、ユルが自室で休んでいる時間だということは分かっていた。恋愛関係の事は、女だらけの水宮で色恋沙汰に縁の無かった自分だけでは心細いと思って、ユルを頼る事にしたのだった。

 実は、この性格が巫女長に選ばれた真の理由であることをケルンは知らない。

 ただ精霊を扱う事が上手いだけなら、他に何人もいた。正直な話、ケルンは何故自分が選ばれたのか未だに不思議に思っていた。

 だが、ケルンが巫女長に就任してからというもの、水宮は上手く回っていた。

 ケルンという巫女長は、頼りない存在である。ただし、その分一人で何もできない事を誰よりも理解していた。

 ケルン程他力本願な巫女長は過去におらず、またケルン程頼らせ甲斐のある巫女長もいなかった。

 皆、進んでケルンを支えたがった。巫女長の立場なのだから、命令すればいいのに、ケルンはお願いしかしたことが無かった。

 そんな性格が、本来なら派閥に分かれて冷戦しがちな、女だらけの水宮を纏めるにはうってつけだったのだった。

「ユル様、おいでですか?」

「いるよ。ケルンに、ルナだろう?入っといで」

 ユルは、相談に行くと必ずと言って良いほど既に事情を把握している。精霊を使って、常に情報収集を怠っていないのだ。

 ルナが緊張した面持ちで部屋に入ると、ユルはにやっとルナに笑いかけた。

「やったじゃないか。ルナ。私は、お前を見直したぞ」

「えっ?へ?……あ、あはは。えへへー」

 ユルが誉めた途端に、ルナの顔が緩む。なんとも嬉しそうな、恥ずかしそうな、溶けそうな笑顔を見せた。

 ケルンは、なんだか一人だけ置いてかれた気分になったのだった。

「分からないか?ケルン。ルナは、つい昨晩想いを遂げてきたんだ。20年来の想いをな。私は、一生言わずにいるのではないかと、心配していたのだぞ」

 内容をようやく悟って、ケルンは顔が真っ赤になった。

「ユル様にはお見通しだったんですね。さすが人生の先輩!」

「私もこれまで、沢山の部下を持ってきたからな。たまに、遅刻してきたのに顔が弛みっぱなしの部下がいたりするんだ。まあ、ルナ程あからさまに分かるのは始めてだが。男勝りが、突然女になったからね」

 確かに、とケルンはルナの全身を眺める。モカナが現れてから、ルナと話す機会も増えていたから、この劇的な変化が良く分かる。

「あはは、まあその、これまであいつと一緒に居たくて、付き合いやすい振る舞いしてましたから」

「元々の性格もあってだろうがね。さて、これで一歩先に進んだわけだ。ククッ、リフレールには、いつ話に行くつもりだ?」

「仕事が終わったら、行こうと思っています。国賓の部屋にいますかね?」

「あぁ、リフレールもあちこちに手を回してるみたいだけどね。夜になると、くたくたになって戻って来るよ。頭が良いのは良いが、多少頭でっかちなんだリフレールは。良い女過ぎて婚期が遅れるっていうのも、大変だ」

 ニヤニヤと、始終ユルはにやけていた。これから起きる喜劇か悲劇かが、楽しみで仕方がないようだった。

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