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音の伝達

突然、電話がかかってきた。
なつかしい声だった。
すぐに誰だかわかる。それはなんとも不思議なことだ。

放送大学の番組「音楽・情報・脳」で、音の情報構造を可視化する手法の講義を聴いた。
音で伝えていた言葉を文字にして伝えるように、音楽を可視化する方法が楽譜となったという話だった。
この番組と前後して、私は坂本龍一さんの追悼特集で、音楽の周波数の話を聴いた。都会で聴く音の情報は周波数の幅が狭く、自然環境に恵まれたところには豊かな音環境があるという話。
山登りや森林や峡谷、水辺などに行くと「気持ちがいい」と感じるのは、自然環境のなかに響いている、感じられる、伝わってくる、振動があるからなのではないか。
周波数、音のゆらぎ、科学的な手法でそれらが解析されてはいるが、私たちは自らの身体でそれを知ることができているのではないだろうか。

私の住む町には大きな川がない。
川の流れる音が聴きたくなるのは、私が子どもの頃から川のそばで育っていたせいかもしれない。
東京に住みはじめてしばらくしてから、何かおかしいと感じたのは、
どこを見ても山を見ることができないと気づいたときだった。

「新しい言語学」では、赤ん坊が言葉を習得する際に、生身の人間から言葉を受け取る場合と、VIDEOを介して言葉を受け取る場合とでは、その情報伝達に大きな差があると言っていた。
音の伝達には、まだ私たちが解明できていないものが多く含まれているのかもしれない。
そばにいる人でなくても、機器を使用して伝わる声の中であっても、
私たちはそこに感じられるもの、伝わってくるもの、言葉ではいえないような何かを受け取っている。
自然環境には、まだ言語化できていないさまざまなものがたくさんふくまれているのかもしれない。


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