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むかしむかしのその昔⑪           初めてのアメリカ旅行

私が本を作る仕事を始めたとき、
最初に提示された給与の金額は7万円でした。
エディタースクールの事務局へ報告しにいったら、
「7万円じゃ食べていけないよ」と言われました。
それで、私はその言葉をそのまま社長に伝えたのです。
すると社長は「じゃあ8万円にしてやる」といって話が成立しました。
私が池袋に借りた部屋代は28000円でした。給与の35%。
やっぱり、暮らしていけないよね(笑)。
だけど、私は毎日残業して、毎日食事が出ました。
それからグルメだった社長は、
おいしいものをたくさん食べさせてくれました。

事務所はすぐに大きくなって人も増え、私の給料も増えていきました。
昭和の時代に電話を取り付けるには、俗にいう「加入権」が必要でした。
私の場合は仕事で必要だからと55000円の加入権を
会社が立て替えてくれて、給与から月2000円の天引きで返済しました。
それでもとても優遇されていたと思います。

会社に入って1年目の社員旅行は香港でした。
それは私にとって初めての海外旅行でした。
そしてすぐに私は「仕事」で、アメリカへも行かせてもらいました。
行ったのはロサンゼルス、シカゴ、ニューヨーク。
ブックフェア参加と出版社、書店の視察、
それに観光も含めて約2週間の旅行でした。
ブックフェアと関係があったのかどうか忘れてしまいましたが、
私はシカゴのミシガン湖で行われた2mileのランニングにも参加しました。
そして、その後私の趣味の1つとなる缶バッジのコレクションも、
この旅から始まりました。

就職して2年目、私の給与は約2倍に増えました。
世の中は高度成長期からバブル期へと向かっていたのです。
遠い遠い昔の話でした。


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