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音ではなく、根っこだ。

私が追い求めていたもの、

表現してみたかったもの、

確かめてみたかったものは、

誰かの肌や耳に届く、「音」ではなかったのだ。
ただそこにある根っこだったのだ。

こっけいで、うす気味悪く、意味不明な、得体の知れないもの。

それを表に出して、伝えたところで、
自分が求める世界や形が作れるものではなかったのだ。

だけど、それは必要で、繋がって、ただそこにある。

根っこから、幹に繋がり、枝から生え、
さざめく音が出せる、あの葉っぱのように。

繋がって、伝わって、言葉や息にのって出ていくものが本音、
本当の「音」なのだ。

それならば、今までも伝えてきたし、表現してきた。

「本音」は「信じる」ことで、根っこの「本根」と繋がる。
つまり「信じる」ことは葉っぱと根っこを繋ぐ、
幹のような、枝のようなものだ。

誰かに伝え、繋がる時も、信じる力が枝となる。糸となる。

誰かと「信じる」という糸で繋がり、
まっすぐに、暖かく、伝わりゆくものなんだ。

本当の根っこを伝えることもできる。伝わることもある。
それは可能なこと。だけど、無理矢理に、連れ出す必要もない。

それが分かっただけでも、ここに来てよかった。
見届けてくれて、認めてくれて、みなさん、ほんとうにありがとう。

本音を奏でるきっかけが
ポジティヴであろうと、ネガティブであろうと、
そんなの、どうでもいいんだ。

だたそれを信じよう。むしろ、信じよう。

自分の本音は伝わるんだと、伝えられるんだと。

惜しみなく、ひるむことなく、淀みなく、
その溢れ出るエネルギーを放とう。

昔は書くことで伝えてきた。
話せなくて、伝えられなくて、
一生懸命に紙に文字を書いていたよね。

今は話すことで伝えてきた。
書けなくて、伝えられなくて、
だから一生懸命に口で言葉にしてきたよね。

だけどさ、つまりは伝えられるんだよね。

私はもう、どちらもできる。大丈夫だよ。

楽しもう。

もうできないフリは、わからないフリは、終わりにしよう。

信じよう。

いつでも、いつまでも。

大丈夫だよ。

音声バージョンはこちら


〜〜〜後日談〜〜〜
結局、私が誰かの名前をすぐ覚えられるのも、
TOEICの点数が600点以下でも英語を話せるのも、
「信じている」だけだったなぁ。

そこに経験という蓋を開けやすい要素がのれば、
それはあっという間に、本当にできるものに変わっていく。

それを私は小野美由紀さんと青剣さんの
「身体を使って書くクリエイティブ・ライティング講座」で
つかむことができました。

紹介してくださったしいさんもありがとう。

ご興味ある方、次回講座はこちらからです。
(というか、私がもう一回行きたい)

素晴らしい体験を、本当にありがとうございました。

「信じる」というコネクトを使って、
私は、私の本根から、どんどん、それを伝えていくぞ、ウフフ。

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