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音ではなく、根っこだ。(音声ver)

りんだ
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2019/8/18(土)に参加した「身体を使って書くクリエイティブ・ライティング講座 」で最後に書き上げた作品を読み上げました。

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私が追い求めていたもの、

表現してみたかったもの、

確かめてみたかったものは、

誰かの肌や耳に届く、「音」ではなかったのだ。
ただそこにある根っこだったのだ。

こっけいで、うす気味悪く、意味不明な、得体の知れないもの。

それを表に出して、伝えたところで、
自分が求める世界や形が作れるものではなかったのだ。

だけど、それは必要で、繋がって、ただそこにある。

根っこから、幹に繋がり、枝から生え、
さざめく音が出せる、あの葉っぱのように。

繋がって、伝わって、言葉や息にのって出ていくものが本音、
本当の「音」なのだ。

それならば、今までも伝えてきたし、表現してきた。

「本音」は「信じる」ことで、根っこの「本根」と繋がる。
つまり「信じる」ことは葉っぱと根っこを繋ぐ、
幹のような、枝のようなものだ。

誰かに伝え、繋がる時も、信じる力が枝となる。糸となる。

誰かと「信じる」という糸で繋がり、
まっすぐに、暖かく、伝わりゆくものなんだ。

本当の根っこを伝えることもできる。伝わることもある。
それは可能なこと。だけど、無理矢理に、連れ出す必要もない。

それが分かっただけでも、ここに来てよかった。
見届けてくれて、認めてくれて、みなさん、ほんとうにありがとう。

本音を奏でるきっかけが
ポジティヴであろうと、ネガティブであろうと、
そんなの、どうでもいいんだ。

だたそれを信じよう。むしろ、信じよう。

自分の本音は伝わるんだと、伝えられるんだと。

惜しみなく、ひるむことなく、淀みなく、
その溢れ出るエネルギーを放とう。

昔は書くことで伝えてきた。
話せなくて、伝えられなくて、
一生懸命に紙に文字を書いていたよね。

今は話すことで伝えてきた。
書けなくて、伝えられなくて、
だから一生懸命に口で言葉にしてきたよね。

だけどさ、つまりは伝えられるんだよね。

私はもう、どちらもできる。大丈夫だよ。

楽しもう。

もうできないフリは、わからないフリは、終わりにしよう。

信じよう。

いつでも、いつまでも。

大丈夫だよ。

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