「社会科」という教科について(所感)

20年以上、社会科を教えてきました。
国の学習指導要領もたびたび変わり、指導方法や評価方法、教育内容の刷新等、学校教育を取り巻く環境も変化してきました。
その都度、私も「一教師」として時代に取り残されないように研鑽を重ねてきました。その中で、一つの「単純な」結論に至りました。

「確実な知識」と「資料を丁寧に読み解く力」によって、「思考・判断・表現」をしようとする「意欲」が生まれる。


ということです。
教科を問わず、今の国(指導要領)の方針は、上記の前半をすっ飛ばし、後半のみ伸ばそう、評価しようとしており、現場の教師もそのための授業デザインをし、「見た目」のみ「やった感」を出しているように思います。(私もそうでした。)

社会科において「思考・判断・表現」は、自分の置かれた立場が社会に通用するのかを「試す」手段であり、しっかり勉強した人は、子供大人問わず他人と議論したくなるものです。それが「意欲」なのです。

最優先すべきは、「確実な知識」と「資料を丁寧に読み解く力」


これが私の結論です。反論はあるかもしれませんが、

・アメリカの位置がどこなのかわからない・・・
・日本の首都がどこなのかわからない・・・
・「朝廷」って何?・・・・
・「ポツダム宣言」って日本が「降参した宣言」じゃなかったの?・・・
・天皇って日本の最高権力者やんな?・・・
・1ドル120円が130円になったら値段上がったから「円高」?・・・

これではそもそも議論にならないのです。
中学校卒業時、こういう生徒が増えているように感じます。

基礎的な知識を身につけたうえで、自分の置かれた立場を踏まえて他人と議論し、より良い日本社会を作っていく。

これが社会科の目的です。そのためには、方法としては原始的かもしれませんが、プリント等による「繰り返し学習」しかないのです。

ただし、一つ大事なことは、


社会科は「暗記科目」ではない


声を大にして言いたい。

「矛盾しているんじゃないか?」

そういう声が聞こえてきそうです。
暗記というのは、意味も何も考えずに脳みそに「流し込んでいく」作業です。社会科は覚えることは確かに多い。しかし、その一つひとつは、地理的に、歴史的に、政治経済的に意味のある、深みのあるものなのです。

ただ単に「字面(じづら)」だけ覚えるものではないのです。
社会科教員の中にも、ここを勘違いしている人が多いです。
特に若い先生。

身につけた知識を生かして、社会で生きていくためのトレーニングをしていく、そこに必要なのが、「思考・判断・表現」をしていく「主体性」なのです。「思考・判断・表現」とは手段でしかないのです。よって、本来「評価に値しない」ものであり、すなわち「正解がない」ものです。学習者が自由にやればよい。百歩譲ってそれを評価するのであれば、

「思考・判断・表現」したかどうか?

だけなのです。

長くなりましたが、以上述べてきた所感は、多かれ少なかれ、日本の社会科の先生方であれば、ご理解いただける考えであると思います。


以上の考えのもと、このサイトでは、

・中学校の授業で使用できる教材
・中学生が基礎知識を身につけられる教材
・課題に対してどのように考えればいいのかのヒント

について、「本音で」発信していきます。

教材のファイルは自由に使っていただいて結構です。


長文、お読みいただきありがとうございました。

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