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手作りマスクは愛だ

不要不急の外出を控える日々が続いている。マスクはずいぶん前に店頭から消えた。一時的にだがトイレットペーパーやティッシュペーパーなど紙製品が買えなくなったり、消毒用アルコールなどの防疫関連(?)商品が買えなくなったりもしている。でも買えないものはしかたがない。わたしは店頭から消えたそうした品々を必死に手に入れようとはしていなかった。ないものはない、以上!  という感じ。

ところが先日、娘が「お母さん、これ。わたし宛てだと思ってまちがって開けちゃった」と言いながら、なにか差しだしてきた。ん? なんだこれ? まったく心当たりがないまま、開封されたレターパックを受け取ってよく見てみると、手作りマスク3枚とメッセージカードが入っている。マスクはドット、ストライプ、グレー無地の3種類あり、片面はすべて白のガーゼ地だ。そしてメッセージカードに書かれた文字を見たとたん、わたしは「うわーっ!!」と叫んでいた。

それは古い友だちからだった。彼女とは学生のころ学科は違うものの同じ部活に入った縁で仲良くなった。球技系の部活で毎週の練習はもちろん、泊りがけの遠征試合や打ち上げコンパなどもあったし、部活の先輩から紹介してもらった盆暮れのアルバイトもいっしょにやった。まったくの偶然ながら、卒業してから就職した職種も同じで勤務先も近く、彼女とのつきあいは続いた。そのうち自分も彼女も結婚したが、お互い同じ関東に住んでいる時期があり、そのころは子連れで会ったりもしていた。

ただ、最近は居住地が関東と東海地方と遠く離れてしまい、何年も年賀状だけのやりとりになってしまっていた。それでも家族写真入りの年賀状などをもらうのは嬉しかった。わたしにとって彼女は大切な友だちだったのだ。

今年1月、彼女から寒中見舞いが届いた。我が家は祖母の喪中で年賀状を出していなかったので、年賀状の返事ではない。そこには寒中見舞いの文字とともに昨年11月に家族を亡くしたことが記されており、わたしは目を疑った。到底、受け入れられないような年齢での死である。なぜ? どうして? まさか自死? 事故か? それとも病気だろうか.....頭のなかがグルグルした。いや、どういうわけで亡くなったかなど問題じゃない。彼女は大切な家族を失った。わたしはその事実を知った。

月並みだが、命日にはお供えするお花かお菓子を送ろうと思いつき、忘れないようにカレンダーにメモをした。しかし命日は11月で、いまは1月だ。いまのところはただそっとしておくべきだろうか? わたしは失意のどん底にいるであろう彼女にお悔やみを伝えたかったけれど、そうしていいものかどうかもわからなかった。

途方に暮れてインターネットで検索してみた。大切な人を失った人は友人にどうされたら嬉しいのだろう? あるいはどうされたら嫌なのだろう? 検索結果は、なにもして欲しくない、とにかくそっとしておいて欲しいという人と、すぐに電話をくれたり、会いにきてくれたり、手紙をくれたりした友だちの気持ちがなぐさめになったという人が半々くらいだった。

つまり、正解はないのだと思った。その関係性によって、その人によって、どう感じるかは千差万別なのだ。わたしはどうするべきだろう。しばらく考えて、ハガキを出すことにした。できるだけ短く簡潔に。あなたのことを想っているよ、それだけは伝えたいと思ったから。

それからおよそ4カ月後に、彼女からカードと手づくりマスクが届いたのだ。自己満足だったかもしれないわたしのパスを、彼女はちゃんと受け取ってくれていた。それだけでなく、投げ返してくれたのだと思った。手作りマスクというかたちで。わたしはすごく嬉しくて、鏡の前で1枚1枚マスクをつけてみながら可愛い可愛いとつぶやいていた。

彼女が無心にマスクを縫っている姿を想像する。わたしには、この手作りマスクがとても嬉しい。

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