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環境教育を改めて考えてみる

1.はじめに

2023年が始動して1カ月。今年も色々なことが動いてきました。コロナ禍、という世の中の終わりが2023年5月7日と決まり、3年にもわたる新型コロナウイルスとの闘いが、地球上の自然の大きな流れのあるがままの姿として、コロナと共存する社会が始まろうとしています。まさか自分が生きている世の中で、人間社会の在り方を根本的に変えるウイルスが登場し、人間社会にここまで猛威を及ぼすその時が来るとは全く思っていませんでした。

この新たなページに切り替わる2023年の講義シリーズの最初として、元職場の環境省国立水俣病総合研究センターが地元で実施している出前授業に声をかけていただき、八代小学校佐敷小学校太田郷小学校で、5年生と6年生を対象としたスペシャル授業、その名も、「国連とその使命:人類 自ら作り出した問題への解決方法とは? -環境問題を事例に -」をさせていただきました。高学年になると、日本の学びを飛び越して、国際関係や国連、地球環境問題を学んでいるそうで、その学びの中で、生の国連職員の話しが聞きたいというリクエストを受け、今回実現しました。小学校に行くと、国連職員は珍しいせいか、サイン攻めや質問攻めに合い、授業以外で生徒さんとの楽しい交流もすることができました。

今回のnoteは、この授業シリーズで話したことや生徒さんへのメッセージをメモとして残そうと思い、書きました。熊本県の小学校は、5年生になると必ず水俣病を授業で学び、学習遠足として水俣を訪れ、語り部さんのお話しを聞いたり、慰霊碑にお参りしたりしています。ということもあり、生徒さんの環境問題に関する意識は非常に高かったです。

2.熊本と日本と世界を比べてみると何がわかる?

熊本県の人口は約171万人、日本の人口は約1億2500万人、そして世界人口がついこの間80億人に達したこの世の中、日本人はどのような立場に置かれているのだろうか?それを理解するためのSDGsクイズ!!

  1. 学校に行けずに働く子供は世界に何人いる? ①0.5億人、②1.5億人、③2.5億人

  2. 1日200円未満で生活する子どもは世界で何人いる? ①1.25億人、② 2.5億人、③3.75億人

  3. 満足に食事ができず生活をしている人は世界に何人いる? ①4億人、② 8億人、③12億人

  4. きれいな水を使うことができない人は世界に何人いる? ①5億人、②10億人、③20億人

  5. どれにも該当せず生活をしている人は世界に何人いる? ①1.25億人、②11億人、③60億人

クイズの答えはこちら:
1.②、2.③、3.②、4.③、5.①(日本の人口)と②(高所得国の人口)

日本で普通に生まれるだけで、世界の中でも超ラッキーな人たちの中に入ります。もちろん、日本国内にも先行きの見えない経済社会や格差社会等が問題となっていますが、SDGsが世界的に、特に途上国で解決しなければならない喫緊の問題と比べれば、そんなの大したことがありません。なんだかんだ言っても日本は世界標準の暮らしよりも、だいぶ先を進んでいます。こんな豊かな生活を送れる国はそうはないのです。同じ時間軸に住んでいながら、日本では「この給食のおかず嫌いだから残そう」としていたり、「今日食べるご飯を買うことができない」、「学校に行きたいけど働かないといけない」、という社会的格差が存在します。少なくとも、日本人は恵まれすぎている生活を、日本に生まれただけで手にしている超ラッキーな存在と自覚することが重要です。

3.正直に正面から挑戦すること:それが全ての問題の解決策

UNEPの職員の使命は、気候危機・自然危機・汚染危機の地球三大危機を193か国の国連加盟国と共に解決することです。でも、地球三大危機はそんなに簡単に解決できるものではありません、正直に言って、解決できないでしょう。なんせ、少なくとも気候危機はその問題を250年間も先送りにしてきたし、一度失った生物多様性は二度と戻ることはないし、人間はありとあらゆる化学物質を大量生産大量消費し続けているし…。人間は欲望に勝てません、でもその欲望があるからこそ、これほど科学技術や思考を高度化していました。しかし、その欲望が人間だけの豊かさを追い求めてきた結果招いたのが、地球三大危機。残念ながら人間は、何か間違いを起こさないとその行動・結果に気が付きません。「失敗は成功の基」とよく言いますが、地球三大危機はまさしくそうでしょう、人間は過ちを犯さない限りその過ちに気が付くことは絶対にない。でも気が付いた時には既にその過ちで失ったしまったものがある。その過ちを正面から正直に認められるか、そしてその過ちを失敗例として学び、二度と間違わないように進んでいくべきではないでしょうか?

4.だからこそSDGsが必要なんです。

小学校でも習うSDGs、街中にも、我が社は〇〇をSDGsの取組として実施しています、とか、新聞広告やポスターにもあちこちSDGsロゴを見るこの頃。残り半分の期間を迎えて、日本でもかなり浸透してきていると思います。

でもなんです、日本におけるSDGsに関する各種取組はもちろん喜ばしいのですが、何もかも恵まれているこの国でのSDGsは、もしかしたら本当にSDGsが必要な人たちにとっては茶番劇に見えてしまうかもしれません。例えば「そもそも日本は恵まれているのだから、さらにその上を目指すSDGsはなんか違うんじゃないか?」とか思われているかもしれません。本当にSDGsが必要な人たちは、そもそもSDGsを知るチャンスらないかもしれません。明日をどう生きるか、という日々の暮らしの中では、17色のカラフルな世界はどうでもよいかもしれません。

日本国内でのSDGsの取組を実施しつつも、自分たちは超恵まれた存在なので、その恵まれな状態を少しでも本当に必要な人たちにおすそ分けしてあげないといけません。例えばこういう風に考えてみるのはどうでしょうか?「僕が通う小学校ではごみの分別を徹底しているから、途上国におけるごみ問題を調べてみよう」、「私の会社ではカーボンニュートラルに向けた取組を実施しているので、〇〇国の取引先の会社でもカーボンニュートラルに向けたアクションができるようにお手伝いしよう」。

この写真を見ると皆さんどう思われるでしょうか?僕の記事を読んでくれている人の目線は、おそらく廃棄物目線でこの写真を見ていると思います。でも他の人は、貧困問題としてこの写真を見たり、児童労働問題やジェンダー問題、社会経済的問題、など、色々な目線で同じ写真を見ると思います。それぞれの着目点が自分自身が貢献できるSDGsとなるでしょう。それぞれ異なった目線を持っている人たちが、SDG17のパートナーシップとしてコラボし、明日を生きることさえ難しい人たちに手を差し伸べていく、これが本当の意味でのSDGsです。

日本に住んでいると全く見えない世界ですが、世界的に見れば日本のように恵まれた生活を手にしている方が少数派です。でも私たちは手を差し伸べることができる少数派でもあります。この恵まれた生活に感謝し、本当にSDGsが必要な人たちに、自分でできる何かをおすそ分けしてみる、それが本当に必要なSDGsアクションです。


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