東海道 復路12 吉田宿→新居宿
31年前、卒業旅行で東海道を江戸日本橋から京三条大橋まで歩いたので、今回は江戸に向けて歩きます。
調べたところ、大坂高麗橋が起点の様なので少し長めの、東海道"五十七次"の独り珍道中を始めます。
2023.01.07
1.スタート地点まで
新幹線ひかり号空いていたので子どもみたいに朝から満喫。
小田原駅付近で進行方向右側の大山の裾野に月の入り、熱海駅付近では進行方向左側に日の出を、ほぼ同時に楽しめました。空いていたので座席を移動して、パシャパシャ。こんな事って日々意識して空をみていればある事なのでしょうけど、改めて感動しました。
2.吉田宿
街路樹の不思議な松の正体は三河黒松。
かつては東海道の風物詩だった三河黒松を、復活させようとしているのでしょう。大きく育つように祈ります。
いま坂を下った火打坂。坂の西側にある岩屋山で、火打石が産出されたことが名の由来。
気になる地下資源館、入口は三重県の紀州鉱山の坑道を模したもので、中では世界の鉱物・鉱石・地下資源などが展示されています。
フィリピンパブが立て続けに登場。
往時の街道沿いには、男性を楽しませる商売が、現代とは比べ物にならないくらいあったのでしょうね。そんな事を考えながら、お店を眺めてました。
3.二川宿
二川駅前に、井戸時代と現代の地図がわかりやすく並べて展示してあります。
見る限りは道筋の雰囲気がほぼ同じ、江戸時代の地図には見事な桝形が二つあり、これは期待できます。
二川宿では各家庭に、宿場の暖簾が配られている様で、様々な家々の玄関先などに掛けられています。現代風の家にも掛けられている姿も、なかなか良いものですね。
こんな感じで脚を拭いてもらえるなんて、旅の疲れが吹っ飛ぶ事でしょう。「旦那さん、長旅お疲れ様でやんしたねぇ、今日はごゆるりとお休みくださいまし」なんて言われながら足をほぐしていただける、羨ましい限りです。
二川宿は、桝形が美しく残っていました。
そして桝形の近くには、立派な商家がよく残っていますが、二川宿の駒屋さんが正にそれで、もう立派過ぎ。
実際に地域の方が集まっており、まだまだ現役感が出ています。
手筒花火が盛んな地域なのですね。
途中消火栓のマンホールデザインが、消火栓でしたので、旨い組み合わせだなぁと感心してました。
4.キャベツ畑
国道1号沿いなので、とょっと退屈ですが、広大なキャベツ畑や、看板やお店の名前を楽しみながら進みます。
街道を歩いていると、高齢者向けのサービス施設や、朝の時間は自宅まで送迎にくるワゴン車を良く見かけます。
先ほどあった看板に、「60才からの賃貸マンション」と上手に表現してあります。まさにその通りなのですが、よく見ると"60才からの"部分にシールが貼られているので、剥がすと"高齢者向け"の様な言葉が出てきそうです。とはいえ、高齢者がもっと増えていく時代に入っていますので、54歳の私も他人ごとではありません。
境川を越えると、三河國から遠江國に、愛知県と静岡県の県境でもあります。境川という川は、名の通りで、重要な役割を担っていますね。
高校時代に茨城県境町の高校に通学しておりましたが、よく考えると、そこは利根川を挟んで千葉県との県境で、かつては江戸から日光への東往還上にあり当時は輸送の拠点として賑わったそうです。
5.白須賀宿
庚申塔には、みざる・いわざる・きかざるが付き物ですが、ここにはもう一匹います。
庚申の夜は身を慎んで、同衾、即ち夜の営みを”せざる”を意味するそうです・・・・
家と家の間に隙間が無く、壁を共有している住宅、中山道の妻籠宿や奈良井宿など、昔のまま建物が残っている地域でよく見かけます。
白須賀宿にもありますが、この建築様式を何と呼ぶのか、長屋ではないので、連棟住宅でしょうか?知りたいところです。
白須賀宿の中心部を抜けると、緩やかな坂を昇ります。ジェットコースターの坂を登りきった感じ、あとは急な坂を下るのみ。この後がお楽しみの潮見坂、太平洋が望めます!
最近歩いた街道で海をみたのは、三国街道の終点の寺泊宿の雨の日本海。身体がボロボロで感動どころではありませんでした。
6.潮見坂
潮見坂に入る手前に、おんやど白須賀という歴史資料館があります。
宿場の様子を、リアルな人形とジオラマで表現してあるコーナー、端の方でこっそり野に放っている二人組の後ろ姿に、妙に共感しました。
潮見坂。
登る旅人は大変だと思いますが、下る旅人は迫り来る太平洋を眺めながらの、快適な道のりとなります。
次に東海道でキラキラ輝く太平洋を眺められる場所を楽しみに、東に進みます。
7.うなぎ
浜名湖も近いので、お昼にうなぎをいただきました。鰻丼2,000円とお求めやすい金額、脂がノリノリで夜まで満腹感が継続。
浜名湖周辺はうなぎが安いのですかね。
8.新居宿
この先は浜名湖を渡り舞阪宿まで船で移動する今切の渡し。
31年前に西に向かって歩いた際は、舞阪宿の漁港で仕事を終えた漁師さんに、事情を話して船を出して貰いました。
今回も試みましたが、知床沖の遊覧船沈没の影響か、釣舟やさんに片っ端から連絡しましたが、春以降になれば許可を得た舟が出るので、その時にどうぞとの案内。
ということで、この先の行軍は断念し御油宿まで引き返し、浜名湖北側を迂回する姫街道経由で江戸を目指します。
国府駅から、御油宿の東海道と姫街道の追分まで歩きます。
この続きは次回、東海道復路13で。
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