見出し画像

本当に大事なことをシンプルにする

以前から気になっていた台湾の調理器具「電鍋」
先月入手し、レシピ本とにらめっこしながら料理をつくっております。

何がいいって、とにかく簡単なんです。
調味料も含めて材料を入れてスイッチを押すだけ。

電鍋が調理をしてくれている間、私は仕事をしたり、ブログを書いたり、別のことができるし、うっかりして吹きこぼれたということもないので気が楽です。

忙しい方には本当にオススメです!

そして気に入っているのが、「余計な機能がない」ということ。

伝えたいことが実にシンプル。

そこから感じたことは、
「与えすぎは楽しみを奪い、楽しみがなくなるから続かない」
ということでした。

私はずっと家電メーカーにいましたが、いつも気になっていたのは、「そんな機能、誰が喜ぶの?」ということでした。
最近の家電って親切すぎだなーと。

電鍋を買う前、私の古巣が出している類似商品を買おうかなと思っていた時期がありました。

色々なメニューを選べて便利。
AIがオススメのメニューを教えてくれる。

でも私は選べるメニューボタンがあると、結局それしか使わなくなってしまうのです。
「手動設定」があっても煮炊きの時間を自分で決めて設定しなくちゃいけない。

そうなると
「めんどくさ。いいや、決まったやつで」となるのがオチで、結局カレーとか肉じゃがとか標準で入っているメニューだけつくって、段々と活用しなくなることが目に見えています。

その点「電鍋」は、「炊飯」と「保温」しかない。
本質だけに絞られたシンプルな構造(ということは壊れにくい)。

どう使うかはアイディア次第なのです。

最初からそうなっていると、「こんな使い方もできるかな」と工夫してみたくなります。

実際、皆さん色々工夫して、3品同時調理とかの技を探究しておられます。

それが無いと役割を果たせないという本質の部分だけを残し、秘めたるポテンシャルは、それを使う人が引き出すことになります。

すると、「そんなこともできるの?」と開発者自身も気づかなかった使い方が発見されたりもするでしょう。

「これもできます、あれもできます」と色んなできることを最初から出し過ぎると、本来もっとあったかもしれない可能性が見つからないままになったり、探究する楽しみを奪うかもしれないな などと思ったりしました。

これは、家電だけの話ではなく、教育とかにも通じるかもしれない。
そして「自分自身が何者か?」を知るのにも通じているかもしれないですね。

「私はこれができます、あれができます」
「こんなこともやってます」
とメニューを色々並べるのではなく、本当に持っている本質は何なのか?

その本質さえ分かっていれば、色々な可能性は人によって開かれるのかもしれません。

それでは、また。

この記事が参加している募集

おすすめ家電

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?