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「個」の誕生-キリスト教教理を作った人びと-

ヒュポスタシスをピュシスから切り離してくれたビザンツ初期の業績は、「人間の本質」「人間本性」などという概念に典型的な仕方でまとわりつくあらゆる偏見、制約、硬化、制度や権力との結びつきに対して、私たちか抵抗し、アンチテーゼを立てるときのよりどころを与えてくれた。

本書 p284

 本書はキリスト教の教理について4世紀から6世紀の議論が現代でも使用される「個」の感覚の確立に決定的に重要だったのではないかという問題認識から、そのころの議論を追っていくことで証明しようとするものである。著者の坂口ふみさんは牧師さんなどの信者でなく大学の先生で宗教学というよりも比較文化の専門家のようである。本書もエッセイ風の書き方がなされていて全く門外漢でもなんとかついていけるような感じである。ただ古代思想の概略を1回でも触ったことがなかったら最後まで読み通せるかという感じ。やはりあまりになじみがなさすぎる分野であった。

 本書を読むことでなんとなく歴史用語として知っていた「三位一体説」なるものが、いったいどういうものなのか、当時の議論の追体験を通じてなんとなく理解できる(できたように感じる)と思う。
 自分の理解としては以下のとおりである。
 まず前提条件としてイエス・キリストは完全な神であり、完全な人である教義を満たさなくてはならない。普通に考えたら神=人間は成り立たないので、古代の議論ではイエスは預言者であったり、神がイエスに神の性質を授けたてイエスは人間から神になった、神と合体した、など常識的にわかりやすい説が出されていくが、ことごとく異端認定されていく。現代的な感覚からしたらわかりやすいからそれでいいじゃんとなるが、それではまかりならないとする宗教的情熱が当時はあった。(しばしば暴力も行使された)
 その中で最終的に神とイエス・キリストはピュシス(本質)においては別々であるが、ヒュポスタシス(基体)=ペルソナ(位格)においては同一である、つまり人類の救済という目的のために同じものとして出現する、とする。それは人が家庭では親や配偶者、会社では従業員、政治社会では一有権者としてそのときの役割に応じて異なるものにはなるが、別の人間になるわけはないのと同じである。そしてこれが肝だと思うが、それぞれの別の立場はその場にいる人との関係の中で定められる。子どもとの関係で親、上司部下の関係で従業員、政治社会おいては有権者と。関係のおいて存在が存在するのである。
 この関係こそが三位一体説の「精霊」にあたる部分である。つまり三位一体説は「神」と「人」が「出会う」ことで人々(のこころ)を救済しようとする教義なのである。
 そしてこれが日常生活で自分と他人との出会いの中で意識される自分がうまれてそれが「個」であるとして、現代に受け継がれる。そのためこの教義に関する議論こそが「個」を誕生させた議論であるという主張である。
 これは非常に画期的である。ある存在がそれを認識する別の存在があることで存在するとは、現代のように客観的に認識できるものや事象を扱うことになれている現代人からすればコペルニクス的転回であり、こような議論が中世において行われていたということは中世がいかに知的に豊かな時代であったかということも感じさせられた。

 そして、逆に「個」というものが現代において死につつある(退化している)とも感じられた。なぜなら現代においては「個性」は「伸ばす」ものであると理解されている。「個性の尊重」も存在している「個」ではなくあくまで「伸びた個性を評価する」ことである。それはつまり現代においての「個」とは経済市民社会においての「能力」としてしかとらえてられいないことになる。経済市民社会において有益な能力(性質)のみが個性なのであり、そうでないものは「個性」ではないのである。これは非常に非人道的で冷たい社会である。出会いの中で発見された「個」は経済社会的メリットがない場合はその存在が「ない」ことになるからである。そのため「個性がない」という、アイデンティティの問題に直面してしまうことになる。いわゆる「生きづらさ」の本質がここにはあると思われる。衣食住があれば生きていことはできるが、例えば人間とって有益な動植物のみ存在しているものとし、それ以外を存在しないものとして扱うのは大きな矛盾だろう。そのような大きな矛盾、不条理、に耐えなければいけない生活はまさしく「生きづらい」のである。

本書は非常にとっつくにくいテーマであるが、大きな示唆や今後の展望を開けてくれる一冊である。「個の誕生」がテーマであったが、実はロシアについて理解するうえでも非常に有益な一冊になると思われる。文書がまた増えるのでここでは触れないが「西洋」とも「アジア」とも違う「ロシア」とは何か。本書は非常に斬新な視点を与えてくれると思うのでそういうことに興味がある人にもお勧めしたい。
自分がちゃんと理解したとは思えないが本書との「出会い」が多く人に新しいなにかを与えてくれると思うのでとても勧めたい一冊である。


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