瀬川

ちゃんとわたしがわたしであるための場所を確保しなきゃいけないじゃん?

瀬川

ちゃんとわたしがわたしであるための場所を確保しなきゃいけないじゃん?

最近の記事

「結果を引き受ける」ということ

教師という仕事はつくづく、学生と向き合いながら自分と向き合う仕事である。 わたしは常々、学生に言葉を発しながら、わたし自身のことを見つめている。わたしの言葉選びは適切なのか、いまの言葉は「教師」としてなのか「わたし個人」としてなのか、わたしは立場としてどのように偏っているのか。特にここ数ヶ月強く意識しているのは、「わたしの経験から来る言葉は、わたしの生存バイアスがもたらしたもので、それはこの子にとって暴力的なものなのかもしれない」ということだ。 わたしの言葉の裏には、たく

    • わたしは生き延びた、みんなも生き延びてくれ

      2020年がいかにヤヴァイ年だったかなんてすでにたくさんの人が振り返りとして方々に書いているわけだけれど、わたしにとってはとにかく緩急がえげつなかったという意味でヤヴァイ年であった。 2月ごろ、そろそろフリーターをやめて正社員になろうと考え出した。2018年、生きるか死ぬかギリギリのところから有難い恋人や友人のおかげでなんとか再起し、正社員に耐え得るくらいの精神状態にはすっかり回復していた。このタイミングで正社員を志したのは、27にもなるのに正社員歴のない人生ってどうなんだ

      • コミュ強もつらいよ〜代理的憤りとの戦い〜

        「コミュ強でいいよね」とたまに言われる。自身をいわゆる「コミュ障」自認をしていらっしゃる方からだ。その度に、ちょっと待ってくれ、と思う。 まず第一に、生まれてこの方なんの努力もなしにコミュ強であったわけではないよ、とは思ってしまう。たしかに幼少期から人見知りした記憶はさほどないし、口は回る方だったと思う。しかしそれだけではなくて、わたしなりの努力もしてきた。失敗をしてはその度に猛省し、改善できる点を探ってきた。常時相手の反応をうかがい、なかなか気も休まらなかったりする。ある

        • 推しが尊くて限界になってしまった熱量を込めただけの文章

          かれこれ6年間すきな男の子がいる。ここで言う「すき」はちょっと難しい。というのも、この6年間でわたしは他の男の子と付き合ったり別れたりをそれなりに経てしまっているからだ。彼らのことはもちろん心底すきだった。それはそれとしてこの男の子のこともすきだった。結論を言ってしまえば、まぁ限りなく「推し」なのだろうと思う。かれこれ6年間推し続けている。 筆者を知っているみなさまは「ああ、あいつのことね」と見当がつくだろうが、見当がつかないみなさまのために彼についてざっくり紹介しておきた

        「結果を引き受ける」ということ

        • わたしは生き延びた、みんなも生き延びてくれ

        • コミュ強もつらいよ〜代理的憤りとの戦い〜

        • 推しが尊くて限界になってしまった熱量を込めただけの文章

          26歳もまた生き延びてしまった

          27歳になる。今年もまた去年と同じく、「これっぽっちも歳なんてとりたくないのに」と思っている。25歳がどんどん遠ざかっていく。わたしの人生のすべてと言っても過言ではない歳が。 「高校生ってもっとおとなだと思ってました」、5月に誕生日を迎えたわたしの生徒がそう言っていた。それを聞いて思わず微笑む。「わたしもね、ずっとそう思ってるよ」。 20代後半なんて、かつてのわたしにとって信じられないくらいお姉さんだった。自立していて、安定していて、バリバリ働いていて、もしかしたら結婚な

          26歳もまた生き延びてしまった

          わたしの「先生」

          教育に戻ってきた。 あまりにも紆余曲折のありすぎたここ数年だったけれど、やっぱりいざ戻ってきてみると、ここがホームグラウンドなんだろうという気持ちが湧いてくる。 結局は途方もなく人間がすきなのだ。そして人間にいちばんふかく関われる仕事は教育なんだろうと、心のどこかでもう信じきってしまっている。 * 先生。 先生って言葉は正直あまりすきではない。既存の意味がちょっとべったり付きすぎじゃない。学校とか塾とか何かしらで、勉強を教えてくれる人。 わたしにとっての先生が教え

          わたしの「先生」