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26歳もまた生き延びてしまった


27歳になる。今年もまた去年と同じく、「これっぽっちも歳なんてとりたくないのに」と思っている。25歳がどんどん遠ざかっていく。わたしの人生のすべてと言っても過言ではない歳が。

「高校生ってもっとおとなだと思ってました」、5月に誕生日を迎えたわたしの生徒がそう言っていた。それを聞いて思わず微笑む。「わたしもね、ずっとそう思ってるよ」。

20代後半なんて、かつてのわたしにとって信じられないくらいお姉さんだった。自立していて、安定していて、バリバリ働いていて、もしかしたら結婚なんかもしていて、凛としたお姉さん。いまのところバリバリ働いているしか合致していない。働いているだけの、ただのこどもだ。

大学生のころ、ゼミの教授がふと漏らしていた。「僕はいまだに自分のことがおとなだと思えないのですよ。おとなって何なんでしょうね?」。まるでこどもみたいなことを言うおじさんだと思った。40代でもそんなこと思うのだもの、わたしが思ってもいいよね。

「都合のいいときだけおとなぶったり、まだこどもだって言ったりするよね」とかつて友人に言われたけれど、そんなわたしでもそれなりにおとなであろうとしていることもある。

わたしにとってのおとなであらんとする営みのひとつは、「自分の機嫌は自分でとる」ということだ。すきな服を着るとか、お気に入りのアクセサリーを付けるとか、すきな音楽を爆音で聴くとか、喫煙所に逃げるとか。まずは「自分がいまご機嫌ななめである」ということをしっかり認識すること、そのための対策をうつこと、誰かの・何かのせいにしないこと、受け入れること、公の場ではできる限り「ふつうに」振舞うこと。

言葉にしてみれば至極当たり前のチンケなことだけれど、これを自分に言い聞かせなければならない程度にはわたしはこどもだ。信頼のおける人におんぶに抱っこになるのは簡単だから。ゆうてまぁ、親愛なる友人様方には常日頃ご迷惑をおかけしておりますがね。

人生のアクチュアリティーがいまだにない。

ふわふわと、どこかフィクションを生きている気さえする。人生はほとんどすべて「ままならない」ことをすっかり知ってしまって、それでもなお自分の手の内に人生があると考えるのはけっこう難しい。

こんなんで教育を仕事にしてるんだから困った奴である。ある程度人生を「ままなる」ようにして送り出してあげることが役目なのに。

まだ諦めていないんだろうな、と思う。ダサい話だけれど。わたしもまた「ままなる」あり方を知りたくて、だからそれを掴もうとしている彼らのそばにいたいんだろうと。

「なんで教育なの?」と友人に改めて問われて、わりとノータイムで「人が変わる瞬間に立ち会いたいから」と答えた。あらゆる人の教えに導かれて、わたしは変わってきた。一方であらゆる経験によって、「ままならなさ」に途方に暮れている。それでもこれがわたしの人生で、「アクチュアリティーがない」というアクチュアリティーを持ってなんだかんだ生きている。わたしはきっとまだもうすこし変わりたい。だから何にでも変われる彼・彼女たちとともにいる。徹底したエゴだなとは思いつつ、世のため・人のためみたいな大義名分は性に合わないのでこれでもいいかとも思っている。どうあがいても愛した相手には利他的になってしまう人間なので、スタート地点くらいエゴだっていいでしょう?

いま学校で心理学を教えているのだけれど、学問とは基本的に理(ことわり)を学ぶものである。物理学なら物のことわりを、経済学なら経済のことわりを学ぶ。心理学は心のことわり、倫理学は人が守るべきもののことわりを学ぶとするなら、やっぱりわたしはいつまでも自分のことわりを究めたい。「自分」は他者や社会からは切り離せなくて、だから世のあらゆることわりを学びたい。

おとなになれなさのこと、過去のわたしのこと、人生のアクチュアリティーのこと、自分はなぜ教育がしたいのか、教育とはいったい何なのか、生き死にとは何なのか、まだまだ解剖しきれていない自分が、自分の土壌がいくらでもある。だから学ぶし、生きていく。半ば余生気分の、取れ高のとり終わった人生でも。

人生に前向きだとは嘘でも言えない。わたしはまだ25歳のわたしに搦めとられている。とはいえ悲しいことに、25歳はもうすこしずつ記号になってきている。だから前に進めるなんて事実はまったく受け入れたくない。わたしは死ぬまでずっと、2018年にすべてが完成してしまったこと、わたしだけが完成できなかったことを背負って生きていく。まぁだからなんと言いますか、前向きではないけれどきっと後ろ向きでもない。前とか後ろとかはっきりさせる必要ないじゃん。どうせ生きるんだからさ。


というわけで、また嫌々歳をとってしまうわたしのことを祝ってくれよな。26歳もまた死ねなかったよ。死ねなかったどころかけっこう元気だよ。6月17日で27歳です。わたしはカート・コバーンではないのでたぶん27歳も生き延びるし、たとえコロナにかかっても死にません。祝わしいねまったく。

今日はこんなところで。


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