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わたしは生き延びた、みんなも生き延びてくれ

2020年がいかにヤヴァイ年だったかなんてすでにたくさんの人が振り返りとして方々に書いているわけだけれど、わたしにとってはとにかく緩急がえげつなかったという意味でヤヴァイ年であった。


2月ごろ、そろそろフリーターをやめて正社員になろうと考え出した。2018年、生きるか死ぬかギリギリのところから有難い恋人や友人のおかげでなんとか再起し、正社員に耐え得るくらいの精神状態にはすっかり回復していた。このタイミングで正社員を志したのは、27にもなるのに正社員歴のない人生ってどうなんだと冷静に思い始めたのもさることながら、恋人のためという部分は正直大きかった。当時恋人は転職したがっていたが、「生活水準を下げたくない」という理由でなかなか踏み切れていなかった。同棲しているわたしの稼ぎがもっと上がりさえすれば、彼が仕事から苦い顔で帰ってくるような状況をどうにかできるのではないか。彼には到底返しきれないような恩がある。だからこれはわたしにとってひとつの恩返しだった。

就職活動は難航した。とはいえこの時期はコロナ禍が本格化する直前で、きっといまの転職市場よりはよっぽどマシな世界だったんだろうとは思う。最後は友人の紹介だったので100%自力で掴み取った仕事とは言い難くはあるが、それでも「紹介してもいい」と思ってもらえる程度の経験と人間関係構築をわたしなりにずっと続けてきたことに関しては少しだけ誇りを持ちたい。

そんなわけで4月にいまの会社に就職した。念願だった教育現場。しかし就職即リモートワーク。1K同棲だったためキッチンに即席の机椅子を構え、そこがわたしの職場になった。そしてすぐに緊急事態宣言。恋人の職場は再開時期不明なまま休業に入った。わたしが3月31日まで働いていた2つの職場も休業になった。2人して収入がなくならなくて本当によかったと、自分の決断のタイミングのよさを心底ありがたく思った。

デスクワークが久しぶりすぎて、メッセンジャーやslack、Googleドライブその他ツールすべてが懐かしいというレベルだった(zoomに関してはまったく懐かしくない)。右も左もわからない仕事での慣れないリモートワーク、おまけに生徒との初めてのやりとりはオンラインと、とにかくやりづらかった。毎日神経が擦り切れる思いで、おかげさまで起きてから寝るまでずっとパソコンの前にへばりついていたし、お風呂の時間さえ惜しくて入浴は数日に一回という有り様だった。フリーター時代は毎日何時間プレイしたかわからないデレステのログインさえ怪しくなった。結果、家のことが何一つできていなかった。料理を恋人に頼っていた分その他の家事は基本的にわたしが担っていたのだが、すべてを恋人に頼ってしまっていた。恋人が無言で皿を洗っている背中から何か気付くべきだったのだろうが、正直あのころのわたしにその余裕はなかったし、「あなたはいま実質ニートなのだから」とどこかで思ってしまってさえいた。対話の努力をしなかったのはすべてわたしの甘えだ。

忘れもしないオンライン開校の前日、唐突に恋人に別れを告げられた。いやぁ晴天の霹靂。もうツレのようにしか思えないだとか、いまのストレス状態だといつかわたしに当たってしまう未来が目に見えていて耐えられないとかいろいろ言われたけれど、結局は諸々ひっくるめた彼のプライドの問題だった。「本気で思ってるから言うけど、僕よりいい男なんてたくさんいる」とわたしの嫌いな常套句ベスト3に入る言葉を言われたときは頭を抱えたが(わたしがお前がいいって言うんだからお前よりいい男なんていないんだよ)、出会った頃は一介の夜職のメンヘラだった女がいきなりよくわからない参考書片手によくわからない優秀そうな男たちと昼夜ミーティングしてバリバリキャリアウーマンみたいになったらそりゃ彼のコンプレックス等々には余裕で抵触する問題だったということだ。それを横目に皿を洗う時間は彼にとって相当惨めだったのだろうといまならわかるけれど、それでもなおわたしにとって彼は死ぬまで共にしてもいいと思える人間だったのでそれはそれは困った。あまりにも皮肉なことが多すぎた。わたしが就職した大きな要因は彼なのに、その就職そのものがわたしたちをはっきり分断してしまう羽目になっただとか。一応別れたくないとゴネてみたものの、わたしは彼の「一度言い出したら絶対に貫く」姿勢がそもそもすきだったこととか(深夜3時に突然「ホタテが食いたい」と言い出して、ホタテの食べられるお店を即座に見つけ出してきてわたしを連れ出す突飛さをすっかり愛してしまっていた)。

緊急事態宣言下に、というか明日からオンラインで学校が始まるのにすぐに引越しができるわけもなく、「振られたのにまだ一緒に住んでいる(なんなら1K同棲なので同じ布団で寝る)」という地獄の時間の中で生徒との初めての授業が始まった。メンタルが崩壊しなかったのは、これまで幾度となく人生の修羅場を乗り越えてきた経験値と、仕事に対する責任感の賜物だと自分を褒めてあげたい。

そんなわけで、ほとんどの人にとって虚無であったであろう2020年の前半に、この2年のわたしの生存に最も寄与してくれた男を失った。

それでもわたしは結局人に救われる。まったくそういう人生なのだ。

6月からはやっとオフラインで学校を開校でき、かわいい生徒たちに本当にやっと対面することができた。生徒全員のことを、わたしはもう漏れなくすっかり愛してしまっている。彼らのためなら何だってできる。彼らを支えているような顔をして、わたしがいちばん彼らに支えられている。

7月からはタナカとルームシェアを始めた。歴代の恋人たちには大変申し訳ないが、結局わたしが人生をかけて愛し抜くのは彼女なんだろうと思っている。家に帰っては今日一日で起こったことすべてを彼女に話してしまう。こんなことは小学生時分母親にしていた以来である。彼女と住み始めた頃、ある友人に「妙齢の女たちが同棲するのはもう出家だろう」と言われて笑ったが、たしかにひとつのルートエンドだと思える程度には毎日の私生活は満たされてしまっている。あまりに居心地が良すぎるので、ちょっともう男の子と同棲することは考え難いくらいだ。


「半径2mの人間が絶対に幸せになってほしい、そのためならなんだってする」ということがいつからかわたしの人生の信条になった。いちばん近いところにいたはずの人にさえそれが叶わなかった2018年以降はより一層そう思ってきたのに、気付けばわたしはまた半径2mを拡張してしまっている(あるいは半径2mにおさまるはずのない人数をすでに招き入れてしまっている)。

だから、というか、前々から言ってはいるけれど、わたしの目標は「概念になる」ことだ。

あなたが困ったとき、つらいとき、苦しいとき、わたしは絶対にあなたのそばにいてあげたい。しかしわたしがあなたの隣にいるとき、別の誰かが同じように助けを必要としているかもしれない。肉体がひとつである以上、わたしは物理的には1人のそばにしかいられない(この限界、わたしにとっては世界の不条理さを、この歳になってもいまだに許せない)。

だから、概念になりたい。わたしの愛する人がわたしを必要とするとき、わたしの肉体がそこになくとも、目をつむればわたしの言葉が、存在が、そこに感じられて、それに励まされるような。だからわたしはとにかく言葉を尽くす。わたしはあなたがどんな状態にあってもあなたを愛しているし、あなたの存在を全肯定する。その思いを、普段交わす一言一言にとにかくのせ続ける。そして、あなたが本当に生身のわたしの存在が必要になるほど困ったとき、わたしは絶対にあなたのレスキューを掬いあげる。神に誓ってでも。

大っぴらに言うのは小っ恥ずかしくはあるが、わたしの師匠ポジションの男が限りなくこれに近い。わたしは何か壁にぶつかったとき、折に触れて彼の言葉に立ち返る。彼は多忙なので常日頃彼を頼りはできないのだが、彼はその代わりわたしに膨大な量の言葉を与え続けてくれている。年に2回は、彼が数年前に書いてくれた手紙やブログを読み返しては泣く。物理的には隣にいない彼の存在に心底励まされる。彼のようになりたい。だからわたしの師匠はかつてもこれからも彼だ。

「概念になる」、先生としてのみならず、人間としての目標はしばらくこれだろうと思う。だからわたしはあなたたちのことをしつこいくらいに愛し続ける。特にわたしから愛されたいと思っていなくてももう諦めてほしい。こんな人間に愛されてしまったのが運の尽きです。


2021年は安らかに生きたいものですが、ここ7年くらい安らかだった年なんてないのでこちらも諦めます。とりあえずわたしは生き延びるので、みんなも生き延びてくれよ。

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