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仏教を学びたい

仏教を学びたいと思っています。
厳密には、実家のお墓など浄土真宗にお世話になっているので、浄土真宗を学びたい、という言い方になります。

宗教を学ぶということに、ずっと抵抗がありました。みんなにあるだろう、成人したあたりで顔見知り程度の同級生から新興宗教の勧誘が来たり「宗教は良くないものだ」という認識があったからですね。でも祖父母が亡くなり、いざ自分の家やルーツに宗教が関わっているという事実を知る。そして自分が病気になり「生と死」というものについて、いろんな疑問が湧き上がってきて、自分の中だけではその疑問を処理できなくなってくる。そんなときに祖父母の葬儀でお世話になったお寺からもらった教本を読んでみる。すると答えの出なかった哲学的な疑問に、なんとなくではあるけれど答えが出たような気になるのです。

人間の人生というのは、不安や葛藤との戦いであると、やっと理解できるようになってきました。それを受け入れて前に進むことでしか、自分の人生を切り開くことはできないと知る。誰にも先のことはわからない。だから「人生とはわからないものだ。変化するものだ」という理解を予めしておく必要があります。でも心のもやもやというのを上手に言語化できないことが、ほとんどなんですよね。どうにかお酒やYouTubeで何もなかったかのように、もやもやを逃がしている。それではダメなことはわかっているのに、その手段から逃れることができません。

不安を乗り越えるのが自分に向き合うことであると理解できるのは「自分でそのような体験をする」か「先人の出した答えに学ぶ」かの2通りであると考えます。ほとんどの人はその両方を上手にいいとこ取りしながら自分の人生を歩みます。でも自分で向きあっても、どうにも解決できない。もやもやして自暴自棄になる問題というのがあるんですね。もちろんその動機や理由も人それぞれ違います。そんなとき仏教の教えというのが、人間の心に沁みてくるような気がしているのです。

誰にも大切な人との別れがあります。悲しくて、人生がどうでもよくなる。自分が病気になる。不運なことが重なっていく。自分の人生はダメだという気持ちになっていく。

このようなことは誰の人生にも起こります。

速報みたいな投稿になりましたが、いま湧き上がってきた学びたいという感情を文章にしてみました。

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