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借金250万から5年で年商5億を稼ぐまで

いつもお世話になります。そして初めましての方、初めまして。杉本です。
Twitter頑張りだして、4ヶ月。フォロワーも700人超えてリアルで会う方ともTwitterの話になったりするので杉本の原体験をここに書き残して
杉本に1ミリでも興味持ってもらえたらなって下心をオブラートに包みながら書き綴っていきます。ではどうぞ。


独立して2年半。採用した美容師の数は100名を超え、年商は5億近くまできました。

今でこそ、この実績ぶら下げ
すごいっすね。って言ってもらえることが多くなりました。
ですが、周りの評価と自己評価に乖離を感じています。

だって、俺、ついこないだまで家賃2万5千円のアパートに住んでいたどうしようもない落ちこぼれだったんです。

いや、別に家賃2万5千円のところに住んでるからって落ちこぼれではないと思ってます。思ってますが、やっぱり周りと比べてしまって俺はいつまでこんな生活をし続けるのだろうと、悩んでいたことがあることは事実なので。。
自分自身の評価は『落ちこぼれ』でした。
そして、『落ちこぼれ』という自己評価はみじかにいる先輩や同期からの影響も存分に大きいです。

27歳。月給13万円で借金250万円を抱えるに至るまではこんな感じでした。


不器用で落ちこぼれ。だけどキャッチだけはできる変なやつ

20歳で入社した社会人1年目のその会社は同期が60人。
優秀な同期もいっぱいいて、レッスン会では生来の不器用を発揮しまくって落ちこぼれ。いつもカリキュラムを合格するのは後ろから数える方が早い。

だけど、不器用のくせに負けず嫌い。

そんなおり、勝てる場所を見つけてしまいました。それが鬼門だとはつゆ知らず。。。

それが『キャッチ』です。
外で通行人に声かけて、お客さんを連れてくる。

これが得意で、レッスンでは叱られてばかりだけど、
お客さん連れてくると先輩に褒められる。

怒られてばかりすぎて、承認に飢えていた杉本は褒められたいがために必死にお客さん連れてきていました。

そんなこんなで1ヶ月で100人を超えるお客さんを連れてきてきたこともありました。そして先輩に担当してもらう。

で、新店舗ができるたびにそこに行きキャッチばかりをして、26歳まで全くお客さんを担当することもなくただのキャッチの人になっていました。

しかし、当時勤めていた会社の給与体系は自分の指名が増えないと給与も上がりませんでした。
だからズーーと基本給から給与も変わらず26歳でお給料は13万円のままでした。

そして、生活苦や色んな事情も重なり(色々ありすぎて、機会あったら直接聞いてください)借金が250万まで膨らみました。

美容師のくせにキャッチしかしない、借金まみれのよくわからない人間の完成です。
先輩たちも扱いに困っていたんだろうなって今なら想像できます。


転機は突然に。

27歳の歳。
借金は相変わらずたっぷりで、給与もやっぱり13万円。

漠然とお金持ちになりたいなって思っていました。

そして、身の回りのお金持ちは当時勤めていた会社の社長。
ポルシェのカイエンと真っ赤なスポーツタイプのジャガーに乗って
身につけてるものはエルメスばっか。

家は芦屋のでっかい一軒家。

馬鹿な俺は、『金持ちなるには美容室経営しかないか』と思っていました。

だけど、借金あるし、そもそもどうやって社長になればいいかわかんない。

社長になれる勉強しながらお金を貯めるにはどこに行けばいいかずっと調べて見つけたのがリクルートでした。
起業家精神のを養う!!
リクルート転職サイトのコピーでした。
俺は猛烈に、
養われたい!!!!!
と思い、
すぐ応募しました。

けど、高卒の俺。

SPIとかあって、
高校生ぶりに数学などを勉強してなんとか合格して、
面接も2つクリアし、最終の部長面接で
『キミ地方でもいい?』
と聞かれ
『もちろんです!!』
と答えました。

結果。
採用が決まり、赴任先は
長崎県でした。

想定の斜め上をいく地方度合あい。
けど、これでリクルートにはいったら起業家精神を養われて
ポルシェのカイエンとかジャガー乗り回せるんだって胸躍る感じで長崎行きの飛行機に乗ったことを記憶しています。


荒ぶるリクルート時代

営業は向いていました。
営業とキャッチは似ている点も多く、
相手の気持ちをきちんと察知して、言葉を選びNOという相手にYESと言わせる。そして後は気合と根性。

不器用だけど、気合と根性だけは誰よりもあったので、
美容室のオーナーさんに気に入ってもらえて、
プライベートでもお付き合いしてもらえてました。

誰よりも早くきて、誰よりも1件でも多く訪問して自転車一つでしらみ潰しで飛び込み営業の毎日。

それで結果でました。
そして、リクルートは結果至上主義の会社なので
先輩だろうが、結果出せてる方がなんとなくえらいみたいな雰囲気がある会社でした。

だから、リクルート時代はマネージャーにも反抗しまくって啖呵切ってだいぶややこしい部下だったと思います。
感謝しています。当時のマネージャーに。

で、営業マンとしては楽しくやれてましたが
そもそもの目的は独立すること。

そのためにどんなビジネスモデルにするか考えないといけないし、
お金も貯めないといけない。

サラリーマンの仕事終わってから飲食店でアルバイトをして、土日もバイト。そして合間に経営のお勉強。

死ぬ気で働きまくりました。だけど本当に楽しくて。
だって、未来が明るく感じたから。

頑張ったらそれがちゃんと結果で返ってくんだと!

報われる努力ってあるんだと。


そして独立。

2020年1月22日。ギリギリ20代。29歳の冬に独立しました。

温めに温めたビジネスモデル。
リサーチにリサーチを重ね、
新規のお客さま、少なく見積もっても300人以上は呼べるし
採用も1年で10人はできるだろうと。

で、蓋開けたら、
オープンして3ヶ月で採用した美容師さんの数は11名。
オープン2ヶ月目の新規のお客様は700人を超えました。

そしてコロナの緊急事態宣言で大ピンチになって、、
復活して、、、、、(この辺はまた別で書きます)

創業して2年半でタイトルで書いた通り
今年度年商5億ペースで推移しています。

つらつら書いたけど、
この記事で伝えたいことがあるとした、
『今どんな状況だろうと、未来に希望を持って前向いて、今できること一生懸命にしたらいつか必ず、報われる』
ということです。

状況が改善せず、停滞感があるときは、
きっと原因を自分の外に向けてる時なんだと思います。

未来は明るいし、自分ならできる。
そう信じて、未来を切り開いて行きます。


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