西暦2009年、ある日

ベリーバッドアラモードというバンドの曲に「金環日食」というのがあります。

この曲の歌い出しの「西暦2009年ある日」というのは、杉本が高校三年生だったまさに2009年の、7月22日のことです。その日は皆既日食が日本でかなりきれいに見られるというので、数日前から話題になっていたんですよ。
で、ホームルームの途中で起きたもんだから、クラスメイトみんな窓際からそれを見上げたっていう思い出がありまして。校舎の向かいにあったホンダかトヨタかの社屋からも、サラリーマンがこぞって見上げているのが見えました。

その辺の話は以前「静かにRADIOSTAR」でもお話ししましたかね。

金環日食じゃないんかい?と言われそうですが、このタイトルにした方がなんかスペシャルな感じするなと思って入れ替えちゃいました。なんつって。

さて、なんでまたこんなタイトルの記事かというと、こないだXのほうでアンケートを取りまして、それで投票トップだったのが「高三の文化祭の話」だったので、2009年の別の話をします。ていうか途中まで「歯がぶっ飛んだ話」がトップだったのでヒヤヒヤしたぜ

僕の青春は闇の中

見出しはQLIPの楽曲ですが、高校三年生の文化祭前後のワタシってどんなんだったかというのをとりあえず解説しておきます。

僕の高校生活は、思っていたよりも地味だったけど、結局一番キラキラもしていたのかなって感じです。一番仲良い友達は高校時代からの付き合いだし、noteに書きたくなるレベルの文化祭の思い出があるくらいなので。
部活は中学の時の先輩が入っていたから放送部。ホントは軽音楽部とか入りたかったけど軽音楽部なかったんですよね。でその放送部は火曜と木曜しか活動してなかったから、空いてる月水金と土日はスーパーのレジ打ちのバイトをしてました。その他貴重なオフの日は、中学の時からのギター仲間の家に行ってギターを弾いているっていうような、そんな毎日でした。
勉強は特にしてなかったから、基本的に数学と理科は30点台でした。

サラッと書きましたが、この「放送部」で「アルバイト」っていうのが自分の高校生活をうっすーーーーーくした原因です。
まず放送部っていうのは、昼休みになったら放送室に行って、音楽を流す係でもあるんですよ。基本的に僕しか音楽流すやつやってなかったから、必然的に教室から離れて放送室でぼっちで飯食ってる状態ですよね。たまに他の部員がやる時とか、どこにいたらいいかわからなくなるみたいな現象ありました。
あと、部活やってる以外の時間は基本的にスーパーでレジ打ってたので、他の子みたいに予備校行くとか、遊びに行くとかなかったわけですよ。他の子もそんなことしてたのかどうか、それすら知らないですけど。長時間働いた帰りはローソンでからあげクン買って帰っていいっていうルールを自分に課して喜んでました。

というような感じで、高二の文化祭までは青春らしい青春を全く送ってませんでした。
高二の文化祭では、有志ステージに出させてもらって、先輩とかがバンドででてる中ソロ弾き語りで出て、「ギターができるらしい」くらいの存在感になれました。それもギリね、ギリ。

三年生になる前の3月いっぱいで、受験あるんでと言ってスーパーは辞めて、あとは文化祭で放送部も引退して、そこから失われた青春を取り戻すみたいな気持ちでいた記憶があります。そんな鼻息荒くしてたわけじゃないけど、やっと解放された〜って感じはありましたね。

ああ高校三年生

三年生といっても、文化祭は6月にあったので、引退時期は運動部よりも早いくらいなんですよね。
文化祭は、クラス単位での催し(1年生は舞台発表か商店、2年生は屋台、3年生は合唱)をそれぞれやるのと、文化部の展示とかでワイワイやる感じです。
放送部は何をしているかというと、放送室からラジオ番組を生放送でやるみたいなのをやってました。展示とかワークショップじゃないのがミソですね。あとは、体育館でやってる催しの音響スタッフという仕事もありました。

ゴールデンウィークと中間テストが終わったらみんな文化祭モードになります。その段階で催しがあるクラスとかは色々申し込んだりするんですな。放送部としても、体育館の催しはどれのスタッフやるかシフト組んだり、ラジオのプログラム考えたりでそれなりに動き出してはいました。

ここに私たちが作る混乱があります

見出しはドレスコーズ「オーディション」より。
先にもチラッとでたんですけど、弊学には軽音楽部がなくて、そういうのは文化祭の「有志ステージ」でのみ発表の機会がありました。だいたい1組15分くらいで、4組出れたのかな。そういう催しが、2日目の午前中にあるんです。
2年生の時応募したら、先輩バンドを押さえてワタシが弾き語りで出ることになっちゃって、すごいなんかすいませんっていう気持ちになったんですけど、本番が楽しかったのは間違いないので、今年もと応募してました。

オーディションの日。4組の枠に対して、6組の応募がありました。
1. 杉本単品
2. ゆずのカバーをやる3人組
3. イケ女子ボーカルの男女混合6人?組(人数多かったのだけ覚えてる)
4. ギャルの4ピース
5. ヤンチャ男4ピース
6. ガチロックバンド感のある4ピース。

生徒会と、生徒会担当の先生かな。その人たちが審査員になって、クオリティ高い順に4組が出れますという説明がありました。この年は全員が3年生で、誰が出ても落ちても文句なし!っていう雰囲気だった気がする。
体育館とは別の小ホールみたいな部屋があって、そこに並んだパイプ椅子にみんな座っていくんですね。

ここで、当時の弊学の状況を説明しておきます。
杉本がいた時のその高校は学年8クラスあって、4クラスは一般入試、もう4クラスは推薦入試と呼ばれるシステムで入学してきます。世間的な言い方をすると特進クラスみたいな分け方がされていて、入学から卒業までクラスはずっと分かれてました(体育の授業と部活動はまぜこぜ)。今は違うみたいですけど。
誤解を恐れず言うならば、一般入試で入ってきた子よりも推薦入試で入ってきた子の方がかしこいしおとなしい、という風潮はありました。

さて、オーディションに臨んだ6組なんですけど、さっきの番号で言うと1〜3は推薦で入ってきた生徒ばかりで組まれていて、4〜6は一般入試で入ってきた生徒が中心(全員ではない)でした。
6のバンドには、俺が高校で音楽やギターの話できると思った唯一の友人こと(仮名)がいました。ジミヘンを神と呼んでいたのでJとします。ハードロックとかパンクとか好きな男で、今はアメリカに住んでた気がする。Jはクラスメイト、すなわち推薦で入ってきた生徒の一人でした。

オーディションはくじ順で、1組1曲ずつ披露してそのクオリティを見られます。僕はその時ミスチルのSignとか弾き語りした気がする。
そして運命のオーディション通過者発表。パイプ椅子で名前を呼ばれるのを待つわけですね。あ、杉本はダントツうまかったので通過しました(自画自賛)。次に3のバンド、2のユニットが合格していきました。
そして、生徒会担当の先生から、次のように言われたのでした。

今回のオーディションは、上位の3組と下位の3組で票差が開いてしまったので、以上の3組のみ通過とします。

え?
は?
なんで?

その場にいた全員が、それはもちろん、オーディション通過した僕らも含めた全員が、頭上にハテナを出して呆気に取られていた次の瞬間、Jがかなりでかい音を立てて、パイプ椅子を蹴飛ばして退室していまいました。そしてそれが引き金となって、オーディションに落ちた側のバンドから猛抗議が始まったのでした。

それもそのはず、この3組で合否を分けた理由が、票差が開いたからではない、絶対ウソじゃん、ということを、オーディションを受けた全員が感じ取っていたからです。少なくとも僕はそう感じました。
「ヤンチャ側がいるグループを通過させたら、絶対本番でルール破るやろ」
そんな感じの、ある種偏見に満ちた(その時僕らはそう感じた)判定に、怒りを禁じ得なかったのです。彼らが表面化しないようにしていた劣等感が、ここにきてこじ開けられて飛び出してしまった。僕の立場から言うことではないんですが、そんなふうにも見えました。

結局Jが椅子を蹴飛ばした以外は暴力もなく、ただ大きい声が飛び交っただけで、先生はさっさと職員室に引き上げてしまいその場は強制終了となりました。が、オーディションは合格・不合格以上に、3組と3組の間に大きな溝を残すことになったのでした。

そして、抗議は生徒会の方にも行き、今からでも合格にしろとか、合格したバンド側からその必要ないやろとか、感情ばかりがやり取りされて、俺が降りるから2組出したってくれ〜〜と言いたい気持ちでした(が自分は出たいので言わない、一番性格悪い)。

同じ望みならここで叶えよう

どうしてくれんねん、なオーディションを経て部室へ。
文化祭のプログラムで担当シフトを決める中で、有志ステージ出ることになった〜というのを部員にも伝えとく必要があったんですね。合唱コンクールも出ないといけないから、1日目は午前中担当するね〜とか言いつつ、体育館のタイムスケジュールを眺めていました。と、ここであることに気づきました。

有志ステージは2日目の10時半から1時間と少しですが、文化祭自体は9時ぐらいからスタートしています。屋台のメシとか、ワークショップとかはその時間から全然受け付けてるわけですね。その、9時半から10時半の間は体育館が空いています。ん?去年は空いてなかったような。
生徒会の役員(クラスメイト)に聞いたら、今年は舞台発表をやるクラスがなかったから、体育館が空いてる状態になったと。ほ〜〜〜〜ん、やること決まったな?

放送部の顧問に、文化祭を取り仕切っている先生は誰か聞き出し、そいつと、オーディションを担当した生徒会の先生と、順番に話をつけることにしました。

杉本「この有志ステージが始まる前の時間、体育館空いてますよね?30分でいいんで、有志ステージの時間を前に延長していいっすか?」

エドワード=エルリックもびっくりの勘のいいガキ(?)のみなさんならお分かりかと思いますが、このステージの時間を延長して、有志ステージの出演枠を増やそうと画策したわけです。「NO」と言われることは想定していません。言われたら暴れるつもりでした。
結局返答は「いいよ」でした。ぶっちゃけ先生もダルかったんだと思うし、2日目の朝は1日目よりも準備の手間もいらないので諸々の注意も必要ないと思ったんでしょうね。「いいよ」と言われたならこっちのもんですワ。

オーディションに参加していたメンバーを呼び出して「ここに30分あるから、落ちたみんなはこの30分を3組で使ってくれ」と言いました。
うちら3年生、全員で出てやろう、どっちに属してるとか関係ない、かますぞ!と言う気持ちでした。
高校生なんで、反骨精神isクールをやってる俺かっけーー、みたいなのも助けて、そのままの勢いで機材レンタルしたり、機材の使い方講習したり、そっからはよく覚えてないけど、クラス合唱の練習はそこそこに、有志ステージの成功だけを考えてた気がします。クラスのみんなすまん。(なお合唱コンクールは8クラス中2位となった)

終わりに

この話はここまでです。というのも、本番は言うほど語ることがないんですよ。
全員気合い入れて、みんないい顔で演奏してた気がする。けど、体育館の熱気と忙しさと緊張でそこまで覚えてないんだよな。僕はこのときの爆熱唱してる写真が卒アルに使われてるので、めくられるとめちゃくちゃ恥ずかしいです。ステージ終わりにみんなで撮った写真があって、それはたまに見返します。男子顔硬いけど。

クサいこと言う気はなくて、一番は自分自身が嫌な思いしたくなかったんですよね、こと音楽をやるっていうことに関して。悪意敵意を向けられるのも困るし。
だからかなり力技だったけど、みんなが出れる方向に思い切って動いてみてよかったです。放送部という立場だったのもまた良かったなと思うし、バイト経験で大人と話すことに抵抗があんまなかったのも助けになった気がするし、総じて俺間違ってなかったんですよね。伏線回収がんばりました。そしてなんなら生徒間の揉め事を解決して俺まじヒーローやん。天才かもしれん。そんな西暦2009年のある日、というかある1ヶ月くらいの話でした。

ちなみに、オーディションで衝撃の発言をした例の先生ですが、この半年後くらいに酔っ払って駅で人を突き飛ばしちゃって、そのまま傷害で捕まります。Jは「制裁きたな笑」と言ってました。ちゃんちゃん

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