殿ヶ谷戸庭園 新年 その1
REV42
ブログ投稿しています。複数画像付き等最終版は此方から、ご覧ください。
新春の殿ヶ谷戸庭園を訪れて、ガイドさんの説明を聞いてきました。(普段のガイド内容と違い、冬の今だけの内容という触れ込みでした)
結構、聴講人数がいたので(全部で7人?)、聞き取れていない事多々あるかと思いますが、以下に内容を公開したいと思います。
尚、書き始めてみて、アイテムが結構多いことから、必要な写真数も多いことから、何回かに分けて、投稿したいと思います。
展示は実は年末の2022年12月25日から(年末年始の休園期間を除いて)始まっていた様なのですが、展示場所が有料レンタルする建屋との説明だったため、立ち入って良いのか判らず、写真を撮影できたのは年が明けての2日からです。(展示は2023年1月3日までです)
殿ヶ谷戸庭園の生い立ちについて(モッコク庭園との別名あり)
門松について
門松について(ソギ)
門松について(寸胴)
コモ巻きについて
霜除け
霜除け(鎧型)について
霜除け(巻き下ろし)について
霜除けの裾飾り
おめでた植物の小鉢
おめでた植物(アリドオシ):一両
おめでた植物(ヤブコウジ):十両
おめでた植物(カラタチバナ):百両
おめでた植物(センリョウ):千両
おめでた植物(マンリョウ):万両
おめでた植物(フクジュソウ):万両
都立公園の雪吊りについて
雪吊りについて(北部式)
雪吊りについて(南部式)
雪吊りについて(兼六園式)
正月あそび
かるた・けん玉・コマ
冬支度で使われる結び
うのくび結び
男結び
ねじれいぼ結び
井桁(石畳)結び
梅結び
上記アイテムの内、今回はアイテム1から3までを、ご説明したいと思います。
●殿ヶ谷戸庭園の生い立ちについて
殿ヶ谷戸庭園は、元々、江口定條氏という元三菱合資会社の社員で後の南満州鉄道副総裁、更にその後、貴族院議員となった人の別荘が庭園の始まりだそうです。1913年から1915年に建てられた別荘は随宜園と命名されたそうです。その後、1929年に三菱合資会社の取締役であった、岩崎彦弥太氏(実際のお名前の字は少し異なります)が別荘を江口家から買い取り、1934年に和洋折衷の木造主屋に建て替え、庭園建築として紅葉亭を新築するとともに、主屋前面の芝生地と国分寺崖線下方の湧水及び園地を結んで、回遊式林泉庭園を完成させたと言われているようです。
その後1960年代の周辺の開発計画に対して、本庭園を守る住民運動が発端となり1969年に東京都が買収し、整備後、有料庭園として開園したのが、今の形の殿ヶ谷戸庭園の始まりとの事です。
同時代に作園された類似の武蔵野の別荘庭園の中でも風致景観を最もよく残し、芸術上の価値が高いなどの理由から2011年9月21日に殿ヶ谷戸庭園(随宜園)として国の名勝に指定されたとの事の様です。
尚、ガイドさんは、遠くを指さして、府中や多摩川、富士山等を昔は見渡せた、かなり大きな敷地が有ったとの説明が有ったのですが、現在は周りが住宅地や団地で囲まれてしまっており、その様な昔の風景は感じられないなと講師は話を聞きながら感じていました。
ただ講師の聞いていた位置とガイドさんが指さしていた位置とが3メートルほど間に人がいた関係で離れていた為なのかもしれませんので、次回訪れた時に遠くが見渡せる場所があるのか、確認してみようと考えています。
●門松について
門松の竹の先端部の形状は、斜めに切った”そぎ”と、真横に切った”寸胴(ずんどう)”の2種類があるとの説明でした。
一説では”そぎ”は徳川家康が始めたもので、徳川家康が三方ヶ原の戦い(1572年12月)で武田信玄に敗れた直後、武田方から送られた句に濁点を付けて読み替え、切り落とした門松と一緒に送り返したと言われているようです。ガイドさんがこのくだりで説明されていた句は以下の通りです。
”松枯れて 竹類いなき 明日かな”:松平氏の出自である徳川家康が滅び、武田氏が栄えるという意味の句
”まつかれで たけだくびなき あしたかな”:松平氏は滅びず、武田の首級が落ちるという意味の句
濁点追加で、意味は、全く逆になっています。
講師は門松は、基本的に斜めに竹を切った状態で飾るものだとずっと思っていました。今回の説明を聞いて少し?に感じたのですが、実は講師の田舎は武田氏の旧領の近くなのですが、残念ながら真横に竹を切った門松を見た記憶が有りません。
インターネットで検索しても講師の田舎の同じ県内で出てくる写真の門松は確認した限り斜めに竹を切った”そぎ”のモノしかない様です。
然し、今は無き武田家の旧領の山梨では武田流門松の名前で寸胴の門松の写真が出てくるようです。同じ山梨県内でも武田流を付けないと、普通の”そぎ”の門松の写真が出てくる様です。
又、通常、門松には松竹梅が使用されていると言われている様ですが、インターネットで検索すると、松竹までは容易に確認できますが、梅は中々見つけられないようです。
尚、都立殿ヶ谷戸庭園の門松は寸胴型で、一件、梅は見当たらないのですが、実は門松全体を束ねている藁紐(?)での結び目が、”梅結び”となっていて、松竹梅を完成させていると、ガイドさんが説明していました。(梅結びは冬支度で使われる結びで説明予定です)
●コモ巻きについて
コモ巻き(=こもまき、菰巻き)とは、江戸時代から大名庭園で行われてきた害虫駆除方法で、マツカレハの幼虫(マツケムシ)を除去する方法のひとつとの説明です。
”こも”は漢字で書くと”菰”。マコモやワラで編んだ”筵(むしろ)”のことを表します。 以前はマコモで作っていたが、現在ではワラを使うのが一般的で”藁巻き”であるとの説明です。
皆さんは莚と言われて、何を想像されるでしょうか?
講師は田舎の農家育ちなので、莚を家で使っていた為、どの様なものなのか、容易にイメージが湧くのですが、皆さんは如何でしょうか?
インターネットで”莚”を検索すると、莚は藁莚(わらむしろ)、茣蓙(ござ)、畳表、菰(こも、薦)などの総称との説明が見つかります。
講師はこの内、藁莚、茣蓙、畳表は見たことも使用した事もあります。皆さんは如何でしょうか?どれか、見たり・触られたりした事が有りますでしょうか?
尚、コモ巻きは元々冬の害虫退治の為のモノで、春になったら、外して集めて、焼いてしまうのが、一応セオリーな様なのですが、害虫以外に益虫も取れてしまう為、現在、全国的にはあまりコモ巻きを行っていないとの事でした。(但し、東京都は未だにコモ巻きを都立庭園でしていて、害虫退治をしているとの説明でした)
講師の経験が、皆様のお役に立てれば幸いです。
(以下、都立殿ヶ谷戸庭園の画像です。)
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