【ネタ切れ日/エッセイ】自分の容量を、過信するなと何度言ったらわかる?
ネタ切れ日です。
今日、家族と食事に行ったんですが、やっぱりどうしても自分のおなかの容量を過信している節がある。
この記事でも書いたけれど、自分の場合は「うわ~~まだ入る~~余裕~~フオオオオオオオオオオ!!!!」という段階からほんの数分で、「もう一生、何も食いたくない」という境地に至ってしまうような、面倒なタイプの人間だ。
今日も精肉の焼き鳥をたらふく食べて、「よし!!次はトントロやで!!」と、ついつい関西弁が出るほど(注:北海道生まれ・育ち)にテンションが上がり、意気揚々と注文した。
テーブルにトントロが5本(5本からの注文)が届き、1本目を口にし、「おいしい~~~~」となった次の瞬間、「あれ…もういらないかも…」と、食欲が突然の裏切りを見せる。
脳内で必死に「あんなに食べたかったじゃないか…!」と自分に言い聞かせるものの、その反応は「断じて、NO」の一点張り。どうしたものか。
そして満腹の苦しみは、次第に怒りへと変わり、「なんで終盤に、油の塊=トントロなんか頼むかな??」と、7分前の自分への憤怒がエスカレートする。楽しい食事は一変、とんでもない苦行と化す。
僕が自分に腹が立つのも無理はない(自分で言うな)。だって、こんなことを何度も繰り返しているのだから。一方で、絶対にこんな自分に失望をすることはない。食べられない量を頼んで、食品ロスが嫌だから血眼になって食べる自分が好きなのだ。
自分のいいところはたくさんあるけど、絶対に食べ物を残したくない、という狂気的とも言っていいほどのメンタルは特に気に入っている。
別に「お残しは許しまへんで!」という、忍たま乱太郎の食堂のおばちゃんスタイルの教育を受けてきた覚えはないが、なぜか中学生のころから、脅迫的にお残しを自分に許さない心情が芽生えてきた。
食事を残す、というのは、作った人に対してものすごく失礼だと思うから。自分で作った料理を捨てるというのはものすごくむなしいことだ。その感情はすごくわかる。
その空虚感でいっぱいの気持ちにならないためにも、かなり自分に厳しくしていたいのだ。食事のときはね。だから食べられない量を頼んでしまっても、なんとかおなかに詰め込んでいくのである。バカだから。
食品ロスが問題だ!とか、そんな社会派なエッセイにするつもりはないけど、お残しをすることはなぜか自分の中で絶対的なタブーであって、できれば全員がそういうマインドで生きてほしいとすら思っている次第です。
さぁ、ネタ切れ日のエッセイは相変わらず最低ですね!
ちゃんとネタ考えないとな~他の人はどうしてるんだろう。
また明日!
小金持ちの皆さん!恵んで恵んで!