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20年間文科系男性による、運動部への恐怖感情まとめ

 運動部が怖い。

 いや、運動部に所属している人たちの一人ひとりが怖いのではなくて(まぁ、中には怖い人もいるけど)、まとまった時の「あの感じ」が怖い。

 僕は、20年生きてきて、一度も主体的に運動部に参加したことがない。友達に付いて行って参加したことは何回かあるけども、1回目で辞めたかったし、ほとんどサボっていたし、なんならどうでもいい記憶過ぎてもうほとんど覚えていない。

 だから文科系特有の、いや文科系の中でも一番と言っていいほどの、ぬるーい環境に身を置いてきたつもりだ。冗談を言って笑いあったり、嫌な大人を小馬鹿にしたり、最近見た映画について熱く語るとかいったことをずーーーーっとしてきた。

 高校の頃は、放課後の教室前のベンチや、図書館の前のテーブル、帰りの電車を待つホーム、帰り道のマクドナルドやファミレスで時間をつぶしていたし、大学生になると、ファミレスにしか行かなくなった

 こういう無駄な時間がすごく好きだし、こういうのが後々になっていい思い出になったりしているから、別に自分はこれでいいと思っている。


 ただ、こういうダラダラに付き合ってくれるのは、基本的に文化系だけだ。それは別に運動部がいじわるなわけでもないし、見下しあっているわけでもない(いや、それはあるのか?)。それは単に、運動部に時間がないこと、そして運動部と文科系は、現実でもフィクションでも相いれない関係になりがちなのだ

 無論、僕にも運動部の友人は何人かいるし、彼らはすごくいい人だ。しかし、僕と仲のいい運動部出身の人たちは、その運動部に完全に馴染めていたとは言い難い人々だった。

 つまり、文科系にもなれるし、運動部にもなれるという、まさに変幻自在なカメレオン的存在なのだ。ちなみに僕は絶対に無理だ。絶対に乗らないと終わる電車に間に合わなさそうなときぐらいにしか基本的には走りたくないし、重いものは白米の袋ぐらいしかできれば持ちたくないし、握力はおそらく中2女子のほうが強いし、運動靴とジャージを1つも持っていない。


 そうそう、話は戻るが、運動部は時間がないし、文科系と相いれないがちだ。時間がないというのは説明不要だから置いておいても、この「相いれない」問題について、個人的に考えてみたい。

 なお、この記事は運動部に対する知識がほとんど皆無な僕が、ほんの少しの知識をもとに書くので、間違っている部分があれば、ぜひ指摘してほしい。



 そもそも、この記事のネタを考え付いたのは、ついこの前、運動部出身の高校時代の友人と久しぶりに会ったからである。彼もあまり運動部に馴染めなかったクチで、いろいろ運動部に対しての不満を話し合った。

 まず、どうやら彼らは、ずーーっと一緒にいないと死ぬらしいウミガメとコバンザメかなにかか?と思ったが、違うらしい。

 これはどういうことかというと、彼らは彼らのノリで生きているために、それに付いて行けなくなると、そのコミュニティから外されて死んでいくらしい。(比喩ね、比喩)

 もちろん、文科系にもそれぞれのノリというものがあるが、基本的に文化系の人たちは複数のコミュニティを抱えていることが多いため、それらを行ったり来たりできるし、なんなら一度ノリに付いて行けなくなっても、あとからまた合流できる場が多かったりする。どうだろう、自分の周りだけかな?

 そういう意味で、やっぱり運動部は怖いのだ。

 だって、もし「野球がしたい!!」と思っても、そのノリに付いて行けなかったら、そのコミュニティから外されてしまうのだろう?もちろん、それぞれの運動部によるだろうし、実力やコミュ力がある者はノリうんぬん関係なく、その中で生きていけるんだろうけど、やっぱり僕みたいな、運動部恐怖症で、その深い知識もない人間からしたら、それはすごく怖い。


 運動部のノリに巻き込まれるのもすごく面倒だ。僕は経験ないんだけど、例えば、野球部が6人いるクラスにいたら、文化祭の決め事とかは確実に「お前がやれよ~~~~~!!!!!!!」「え~~~~~嫌だよ~~~~」「こんなん女子がやれよ~~~~~~~~」「え~~~~~~あたし嫌だよ~~~~~~~~~~~」とか言い合うに決まっているし、文科系に発言権はないし、否定しようもんなら後からぐちぐちと集団で言われるのだ。知っている。(偏見がひどい)そう、運動部は周りを巻き込む力があるので、クラスに何人かいるだけで、牛耳られてしまうのだ。

 あと声がでかい。それに彼らが「ユーモア」と捉えているのは「内輪ノリ」なので、意味が分からない隠語に対して、大声で笑っているのが目に浮かぶようだ。それに対して僕ら文科系は、1.わかったフリをして、一緒になって小さく笑っておく。または2.何が面白いのかはわからないままにしておいて、星野源のエッセイを読んでクスクス笑う。のどちらかしか選択肢がないのだ

 

 あと、文科系はなぜか顔も知らない野球部の応援に行かなくてはならない。野球部が強い多くの高校では日常茶飯事だと思うのだが、なぜか甲子園出場間近になると、全校応援に行かされる。クソ暑い夏の日に、直射日光の中、面識もなにもない野球少年たちの雄姿を見届けられるなんて、最高だ。その応援はわざわざ自費で、けっこう遠い野球場まで生かされ、応援グッズを持たされ、知らない歌を歌わされる。その応援歌をサボっていると、年下で面識もない野球部員から「声が小さい!!!!」と怒鳴られる。

 いろいろとツッコみたいポイントはあるんだけれど、まずなぜ面識もない人たちを、クソ暑いのに大声を張り上げて応援しなくてはいけないのか。冷たい人間だと思われてもいい。冷たい=涼しいから、夏には最高だ。そしてそもそもなぜ怒られるのか。え、もしかして、、、当時は気づかなかったけど、、、まさか、来たくて来てると思ってる、、、?

 スポーツにまず興味がないし、暑いのが嫌いだし、まず何度も言うけど、知らないヤツが打って走ってるのなんて見てても面白くないし、そもそも野球のルールわからないし

 歌も知らないし、メガホンを叩くリズムとかもわからないし、てかなんで野球部の応援だけ行かされてるんだ?他の部活は?だって他の部活だって勝ち進んで全国行くかもしれないだろ。なんで野球だけは行かされるんだ?

 せっかく行くなら選らばせてほしい。僕なら迷わず水泳だね。屋内だし、涼しいし、ルールとかないし、誰が勝ってるかわかるし、すぐ終わるし


 僕の周りの文科系は基本的にみんなこう思ってたし(思ってたよね、、、?)、文科系のほうが運動部よりも多いのだから、せめて応援には行かせないでほしい。勉強させてくれ。あ、間違った。家に帰らせてくれ。

 ここまで書いて、今まで書いたものをざっと見返してみたら、偏見と憎悪の塊だったので、これ以上変なことを言わないように、ここらへんで黙っておきます。

 とりあえず、野球部の全校応援という文化が一日でも早く終わりますように。そして野球部の全校応援のことを、「野球部だけでなく、それ以外の人々が、全体的に一つになって、思い出を作るために大切なんだ」とか言う人が絶えますように。そもそも僕は「一つになる」って言葉がまず嫌いだし、野球部の全校応援なんかで一つになるなんかまっぴらごめんなので、早く教育委員会のみなさまがこれに気付いてくれますように。あーーーーーーーーーあ!!!


小金持ちの皆さん!恵んで恵んで!