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【映画:PEARL パール】私をここから出して、それから愛して。

 この映画がなければ、前作の『X』(2022)はただのよくあるホラー映画として消えていったかもしれない。この世の続編映画は2種類しか存在しない。「産んでくれてありがとう!」という母の日のような続編映画と、「なぜ俺を産んだ…!!」というミュウツーのような続編映画だ。

 わかりやすい例では、前者では『エイリアン2』や『ターミネーター2』などが挙げられ、後者では『エイリアン3』や『ターミネーター3』などが挙げられるだろう。

 あ、ちょっと待って。もう一つありました。「誰も覚えてない続編」です。これはもう最悪。たとえ前作がかなり有名でも忘れられてるor知られていない続編は山ほど存在する。『バタフライ・エフェクト2』とかね。『X』は正直、爆発的ヒットを遂げた作品ではなかったので、本作の『パール』もこの一部になってしまう危険性を孕んでいた、正直。鑑賞前は心配になっていたけど、なかなかの傑作だった!


パールの自己肯定感の低さ×彼女の立場の危うさが引き起こした、鮮血の悲劇


 この映画、全体でいろいろなことが起こったけど、すべてがこの2つの最悪の噛み合わせによるものだ。パールはセックスに飢えていて、愛に飢えている。これは彼女が性依存の傾向があるとして捉えることもできる(実際、僕もこう思っている)。ここで性依存症の原因について見てみましょう。

 性依存症に悩む人の背景には、幼少期に家族からの虐待(性虐待も含む)、ネグレクト(育児放棄)、暴力、家族の依存症問題(アルコールや薬物、ギャンブルなど)、親の浮気・不倫といった「逆境体験」を複数経験しており、安心安全な環境で親から十分な愛情を受けられなかった経験をしていることが多くあります。
 子どもの頃のネガティブな事象は、生涯にわたり心身の健康に悪影響を与える可能性があります。その結果、自己肯定感の低さや過剰な見捨てられ不安、怒りや衝動性のコントロールの困難さ、慢性的な空虚感、自殺傾向と自傷癖など、その人の生活全般に影響が表出してしまうケースが見られるのです。

https://helico.life/monthly/220708aboutsex-sexual-addiction/

 パールの「逆境体験」とは、もちろん「愛する母親との確執」と「責任と閉塞感」。間違いなく死んでいるはずの母親の遺体を引きずり、想像の中だけで生きている母親と抱き合うシーンからは彼女が母親から「わかりやすい愛」を受け取りたかったことが暗示されていた。しかし現実は非情で、まったく動けない父親の介護を任されつつ、農業にも従事しなければならない。その上、自分の出自であるドイツ系の立場が危ういという、パール自身にはどうしようもない責任感が降り注んでいた。そこからの脱却を強く望むのは、パールが女優志望でなかったとしても当然だろう。

 これらの要因が彼女の自己肯定感の低さと、怒りと衝動性のコントロール不全を引き起こしたと考えられる。「自由になりたい」「自分の人生を生きたい」という思いは最初は自分よりも自由に見えるアヒルを殺害することによって紛らわせていたように思えるが、それは過激さを増し、最終的に母親を殺し、義理の姉を殺した。

 しかし、「愛してほしい」「大切に思ってほしい」という思いはそれを凌駕した。自分を愛してくれているはずのハワードへの疑念はどんどんと膨らみつつも、最終的にはどこにも行かず彼の帰りを閉塞的な実家で待ち続けていたのだ。そして前作の『X』では高齢者となったパールとハワードが登場する。ハワードがあの惨劇を見た後でもパールと生涯を添い遂げた理由は何だろうか?パールへの愛だろうか?それとも家族の崩壊を世間に気づかれてはならないという価値観だろうか?

https://entertainment.ie/movies/movie-news/pearl-551913/


パールが飢えていたのは、ハワード?セックス?それとも…


 この映画、ハリウッド黄金期を彷彿とさせる映像の美的センスや、過激な暴力性ばかりに目が向きがちだが、よく見てみると何よりも「」を描いた作品であることはここまでの解説でわかってもらえたはずだ。

 彼女の性依存の傾向は後年まで続いた。前作の『X』でも素性も知らない若い男に性行為を迫り、拒絶されると殺害していた。さらにハワードが心臓に病気を抱えているにもかかわらず無理して性行為をせがんでいた。それらも「愛されたい」、あるいは高齢者となったパールの「今でも女性として見てほしい」という欲求の表れだろう。

 ここから生じる懸念点は、パールが依存していたのはハワードではなく、「愛」そのものではないか、ということだ。『X』にてハワードが自分の命をすり減らしてでもパールの無理な願いを叶えるためにセックスをしたことからわかるように、どちらかというと相手に依存していたのは最終的にはハワードだったようにも思える。

 パールはもしハワードが戦争から帰ってきた際に、映写技師の男と密接な関係になっていたとしても、迷わずハワードに帰るだろうか?その答えははっきりとはわからないが、この映画が愛に飢えた一人の少女を、とんでもないモンスターへと変貌させたことは確かだ。

https://www.nytimes.com/2022/09/15/movies/pearl-review.html


ミア・ゴスの凄まじい演技と、映画史に残る(かも)エンドロール


 こんなことは僕が書かずとも世界中の人が痛感しただろうが、ミア・ゴスの演技力には圧倒された。パールの辿る悲惨な運命にくらくらさせられてしまうほどの没入感を観客に与えるような演技力は本当に見事!!

 特に終盤の独白のシーンは長回しカットは我々は彼女の残虐さをいったん忘れ、彼女の悲惨な運命に共感させられそうになる。シリアルキラーとしての一面に隠された、彼女の人間としての弱さを垣間見てしまうことで、我々もその独白の聞き手であるミッチー同様に「触れてしまった闇」のゾッとするおぞましさを感じられる。

 なんと彼女は脚本家(監督のタイ・ウェストとの共同脚本)と製作総指揮も務めている。その多彩さには驚かされる。

 そしてこの映画に触れる際に忘れてはならないのは印象的なラストシーンだろう。ハワードの帰りを喜ぶ素振りを見せつつ、もう自分の行いからは逃げられない恐怖や、悲惨な運命からの助けを求める狂気の笑顔から観客は目を離せなかったはずだ。まったく画は変わらないが絶対に目を離すことはできない。それは「いつまでやるんだ」という滑稽さからかもしれないが、パールの笑顔の裏に隠されたメッセージに気づいた瞬間、それはもうただの笑顔ではなくなる。虐げられてきた存在のやるせなさと絶望感が笑顔だけで痛烈なほどに伝わってくるというその恐ろしさに震えるのである。


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