見出し画像

子どもを産まないものがたり。


幸せは、証明したり説明するためにあるものじゃなくて、ただ謳歌するためだけにあると思う。



既存の枠組みや価値観に囚われてしまってさ、罪悪感を抱いてしまうことは少なくない。なんでもかんでも完璧には元よりなれっこないと分かってはいるけれど、でも、うまく人に合わせられないとか料理が人より下手だとか、いわゆるマイノリティであることだとか。


・ 

数年ぶりにFacebookでとある友人を見かけた。知らないうちに親になっていた。私の周りは自由気ままな人が多いからそうでもないけれど、30くらいになるときっと、多くの人が晒されるプレッシャーがあるんだと思う。女の場合、「子どもは早く産んでおきなさい」っていう圧力。

出産適齢期までのカウントダウンが始まる。作ろうとしたって、すぐに作れないことも多いこの世の中で。善意がチクチクと胸を刺す、「あなたのためを言ってるのよ」とか、「後で後悔しても遅いんだから」とか。


自分が人と違う選択肢を選ぶ時、多かれ少なかれ、その説明を人は求める。どうして、それを選ぶの。それは純粋な問いであることは少なくて、多くは「そっちは間違ってるよ」「こうしておいた方がいいよ」という助言付き。本人は優しさを持って言ってるんだろうけど、すでにその時点で対等な対話は出来ていない。だって未来は証明出来ないし、自分だけにしかわからない感覚は当然説明なんか出来ない。

「なんとなくしたくないんです」。それは自分にしかない、何より大事にすべきいわば魂のかけらみたいなものなんだけど、それだと人は納得してくれない。「どうしてそれを幸せだと思うの」ってこの一連のやり取りは、悪魔を証明するようなもの。相手が感じられ「ない」ものの証明は出来ない。今現在に「ない」ものも。後からでしかそれを示すことは出来ないし、自分が心の底から幸せを謳歌してたって、「あの人は不幸だね」って思う人は一定数いる。幸せの物差しは人それぞれだから、自分以外の幸せを図ろうとはしちゃいけない。世界のルールも物差しも、全て違うんだ。


『1人じゃないって思えただけで嬉しかった』
 


ツイートに対して書かれていた言葉が、嬉しかった。選択肢は同じ。その理由は違う。私は子どもの時の決意の延長で、子どもを産まないことを選んでいる。もちろん産みたいと思う日が来るかもしれないけど、今の私はそうしたいと思う、これは誰にも否定できない私の大切な気持ち。そしてあなただってきっとそう。正当化しなくちゃ、とか、説明しなくちゃ、納得してもらわなくちゃ。そう焦っちゃうことも多いけどさ。幸せも、感性も、自分だけのものだから。せっかくなら、頑張ってプレゼンしようとした分、抱きしめてみるといいのかもしれない。大切に、大切に。どれだけチクチクと胸が痛んでも、その思いが傷むことは決してないから。自分の根っこにある願いは、自分にだけしか聞こえてこないものだから。


この記事が参加している募集

#SDGsへの向き合い方

14,695件

「サポート」ってちょっとわかりづらいですが、チップとか投げ銭みたいなものです。読めてよかったな、これで珈琲でも飲んでくれよ、と思ってもらえたら、どうぞ投げてやってください( サポートの通知を見たら嬉しくて飛び跳ねています )