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「価格」にする価値と「価格」にしない価値
価値をどこにおくかというのはすごく大切な考え方だと思います。今回はそんな話です。
今回、あえて価値とまずは表現してみます。わかりやすいのは物の価値ですね。そのものが持つ価値です。いろんな見方があります。単なる機能として見る場合もあれば、ブランドが付与される場合、安心が付与される場合。
例えば、ホテルで考えてみましょう。機能だけで考えたら、寝床という機能面で考えれば、ビジネスホテルも高級ホテルも同じです。しかし、わかりやすく価値は違います。ホスピタリティとか特別感とか。そういう機能面とは違うところに価値を感じます。
例えば、髪を切るということを考えてみましょう。ぶっちゃけ、ハサミがあれば自分でも髪は切れるわけです。それを外にお金を支払ってまで外できるわけですからその時点で何かしらの価値があります。そして、1000円カットと美容室での数千円のカット。何が違うかは結局何に価値を持たせるかです。
今あげたものは価値を価格に転嫁しているケースだと思います。
世の中には価値を価値のままにすることもあります。例えば営業活動みたいなものです。困った時にすぐに来てくれる営業マンがいたとします。そういうシチュエーションでは「いやぁすぐ来てくれるから助かるよ、今回〇〇円ね」みたいにはなりません。
出前とかもそうですよね。ウーバーイーツや出前館がここまで一般化する前から、出前というものはありました。近所のラーメン屋とか蕎麦屋とかで出前を頼んで、、、いわゆるテンヤモンってやつは、配達に対して価値はあれど、価格化はされていなかったわけです。
しかし今や同じ配達でもウーバーイーツなどは価格が上乗せされていて、どこか「当然だよな」な感じがあるわけですね。
さて、色々と例を挙げてみましたが、価格にできていない価値があると言うことです。こうかくと、お金大好きな感じに思われますが、まぁ否定はしませんが、価格に変えるべき物をしっかり考えないといけないと思うのです。
仕事の仕方には色々あるので、一辺倒にしてはいけませんが、もし慣習的にとか、感覚的にとか、一般的にとかの言葉で思考停止に価格化を忘れているならば、それは損です。
ここで言う損は広い意味での損です。言うならば、価格にはできる価値を見逃すことで、価格を得るためにそこまで価値の大きくないことに時間と労力をさいていないかということです。
価値と価格の狭間にある切り替えスイッチをたまに見つめておくことが大切です。ここが疎かになると、本当に人の役に立つ正しく利他な活動ができなくなる可能性だってあるわけです。
価格にする価値、価格にしない価値
一度、見つめてみてはいかがでしょうか?
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