情報の解像度をコントロールする
情報発信のやり方にはいろんなシチュエーションがあります。くれぐれも「発信すべき内容がある、発信していい状況」という前提になります。情報の中には機密なものもありますので、すべてにおいて「発信すべき」と言っているわけではないことを前提にして話をすすめます。
個人的な感覚として発信していい情報については「すぐにでも発信すべき」という感覚を持っています。個人の判断で発信量を0のままにしておくということに対しては正直危険さすら感じるほど、「すぐにでも」という気持ちが強いのが(今の)僕の感覚です。
ただし、今回のタイトルにつけたように、「情報の解像度」はコントロールする必要があると思っています。これは小出しにするということではなく、あくまでの情報の解像度です。粒度といってもいいかもしれません。伝えるのであれば100%を伝えるべきです。その中で、その情報の粒をどこまで細かく、もしくはどこまで荒く伝えるかということかと思います。
なんとなくの経験からいえば、情報を小出しにしてしまうとどういうことが発生するかというと、噂話や尾鰭がついた副産物として発生するということです。要は情報の受け手が、その情報に対して何か新しい情報を追加してしまい、内容が変わってしまうことです。
もちろん、その小出しが完全に設計されたものであれば、物語として「次に何がでてくるかな?」という期待値のもの「待つ」という行為が生まれることがありますが、・・・であれば、小出しであったとしても次回であったり全体像をほんのり感じることができるので、これも解像度のコントロールがされていると考えてもいいかもしれません。
情報というのはまず100%を見せること。仮に100%の情報がぼやっとしていても「とりあえず、全部は受けた」という状況を作ることが大事だと考えています。
さて、解像度をコントロールするということですが、具体的に例をあげて説明します。プレゼンテーションで考えてみましょう。プレゼンには演出が含まれると思っていますので、すべてのプレゼンで解像度をコントロールする必要はありませんが、解像度の説明という意味合いで行きますね。簡単にいえば、プレゼンの冒頭で「アジェンダ」を出すかどうかです。
このプレゼンテーションの100%をまずざっと解像度を荒くアジェンダで示してその後徐々に解像度をあげていく。つまりアジェンダの内容を詳しく説明していくのです。このとき冒頭で感じたプレゼンテーション全体の枠と最終的に感じたプレゼンテーションの枠は変わりません。しかし、冒頭と最終の解像度は異なります。
日常のコミュニケーションでも同じだと思っています。解像度高め、解像度低めそれぞれのコミュニケーションはあると思いますが、結局言いたいこと伝えたいことは総じて同じであるということで会話をすると、いわゆる変な伝わり方は軽減されると思っています。
画像加工をされたことがある人はイメージしやすいと思いますが、画像の大きさ(縦横サイズ)をもってすべてを一旦伝えましょう。右上だけを解像度高く伝えるなどの変な段階だては誤解を生むと思います。
今日は解像度という視点でコミュニケーションについて語ってみました。
もし気に入ってもらえたら嬉しいです。情報の発信とコミュニケーションについていろんなチャレンジをしていきます。どうぞよろしくお願いします!