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弾けた演技力示す鈴木壮麻と八面六臂の賀来千香子、生きることと死ぬことの間にある人生の喜びと哀しみを実力派たちが果敢に描き出す…★劇評★【舞台=吾輩は漱石である(2022)】

 人は意識がない時も夢を見ることがあるという説が有力だが、それが生死の境をさまよっている時ならば、そこで見る夢は何かを示唆しているのか。臨終の直前に走馬灯のように見るという過去の記憶の連続画像との関係も気になるところだ。宗教的な分析は古くから行われているものの、夢の本格的な研究はフロイトやユングが活躍した20世紀初めごろ以降とされているから、まだ分かっていないことの方が多いのが実情だ。この意識不明下の夢を道具立てとして、かの文豪、夏目漱石が晩年近くに転地療養中の伊豆で味わった30分間の臨死体験である「修善寺の大患」の際中に見ていたかもしれない夢を井上ひさしが舞台に描き出したこまつ座第145回公演「吾輩は漱石である」が、初演から30年ぶりに、しかもこまつ座としては初めて上演されている。この体験は、回復後の漱石の作風にまで影響を与えたとする学説が有力で、何より、同じ文章による表現者である井上には「修善寺の大患」はとても興味深い出来事だったに違いない。夏目が後に「こんな夢を見た」と言ったわけではないから、あくまでもフィクションだが、登場人物や設定に、「坊つちやん(現代表記では「坊っちゃん」)」などの漱石作品を連想させるものを織り込んだり、みんなと一緒にいるのに感じるさびしさや死生観など現代に通じる明治後期の人々の精神状況を盛り込んだりして、漱石への愛情にあふれたオマージュとしてまとめ上げている。ミュージカル仕込みの研ぎ澄まされた声質だけでなく、弾けた演技力を披露する鈴木壮麻と、マドンナ風の女性から男装の謎の人物まで振れ幅の広いキャラクターを演じる賀来千香子というこまつ座初出演組の2人を中心に、生きることと死ぬことの間にある人生の喜びと哀しみを実力派俳優たちが果敢に描き出す作品に仕上がっていた。演出は鵜山仁。(写真は舞台「吾輩は漱石である」とは関係ありません。単なるイメージです)
 
 舞台「吾輩は漱石である」は、11月12~27日に東京・新宿南口の紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA(新宿三丁目の紀伊國屋ホールではありません。お気を付けください)で上演される。
 
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 ★舞台「吾輩は漱石である」公演情報

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