★最新リポート★【Report】 クリエイティブな探究の場に、「父と暮せば」稽古場リポート(2018)

 原爆投下から3年の戦後の広島を舞台に原爆の惨禍を生き残ったことに罪悪感を覚え苦悩する娘を優しく見守る父親という親子の姿を描いた井上ひさしの名作二人芝居「父と暮せば」が上演されることになり、6月5日の初日に向けて連日都内の稽古場で熱い稽古が続いている。1994年の初演以降、すまけい、前田吟、沖恂一郎、辻萬長が演じ継いできた父親役を山崎一が、梅沢昌代、春風ひとみ、斉藤とも子、西尾まり、栗田桃子が演じてきた娘役を伊勢佳世が新たに演じるキャスト一新の公演だけに、「今の僕らの現代劇を作るのが目標。新しい声と新しい表情が必ずや出てくると思います」と初演から手掛けてきた演出の鵜山仁も2人に強い期待を抱く。絶望の中から生まれた希望の物語でもあるこの作品には井上が込めた戦争や広島への思いが数え切れないほど秘められているため、山崎と伊勢は最後の最後まで細かい表情や、感情を表現する動作を磨き上げることに懸命。取材を特別に許された当ブログ「SEVEN HEARTS」がどこまでもクリエイティブな探究の場となった稽古場から緊急リポートする。
 舞台「父と暮せば」は6月5~17日に東京・六本木の俳優座劇場で、6月21日に山形で、7月14日に仙台市で上演される。チケットは発売開始済み。

★舞台「父と暮せば」公演情報http://www.komatsuza.co.jp/program/#more307

ご予約・お問合せ:03-3862-5941(こまつ座)

 「父と暮せば」は、井上ひさしが創設したこまつ座によって、すまけい、梅沢昌代のコンビで1994年に初演。その後、こまつ座の辻萬長と文学座の栗田桃子のコンビをはじめさまざまな俳優によって長く演じられてきた。二人芝居の傑作として高い評価が定着し、こまつ座以外でも演じられている作品だ。

 2004年には黒木和雄監督によって映画『父と暮せば』として映画化され、宮沢りえ、原田芳雄が熱演。また「父と暮せば」の意思を受け継いだ作品として山田洋次監督が映画『母と暮せば』を完成させ、吉永小百合、二宮和也によって演じられたことも記憶に新しい。

 原爆投下時の広島に居たものの、ちょっとしたタイミングの違いで直撃を逃れて生き残った娘の福吉美津江が戦後暮らす自宅が舞台で、仕事場の図書館に訪れた研究者の青年に対してほのかな思いが芽生え始めていることに気付いた父親の竹造が「恋の応援団長」としてしゃしゃり出て来ることから始まる物語である。

 二人芝居らしくすべてが会話で織り上げられていく。そこに浮かび上がるのは、戦争で、特に、広島や長崎で命をとりとめた人々が抱く「生きていて申し訳ない」という気持ち。もしなんとか生きさせてもらえたとしても、幸せになぞなる資格はないのだ、という思い。
 父は以前と何にも変わらないようなやり取りを続けながら、徐々に美津江の心をほどいていく。明らかになるのは決して美しい過去ばかりではない。拭い去れない過去を超えて、2人は着地点をみつけることができるのか。
 既に稽古場も熟しつつあり、通し稽古では芝居を止めることはないが、慎重に見極めながらの演技が続く。

 山崎は細身ながら、頭を丸刈りにして、すっかり頼りがいのある竹造の姿に。応援団長よろしく美津江を明るく励ますせりふが印象的だ。
 コミカルな場面では、実に表情豊かに竹造の思いを描き出し、美津江ばかりか観客の心まで浮き立たせようとしているかのようだ。
 これまでも井上作品で活躍しており、井上ひさしのせりふが持つ弾むようなリズム感もお手のもの。その上、山﨑がもともと持つ口舌の楽しさ、語りの面白さが活きている。

 伊勢は、美津江の「生きていて申し訳ない」という複雑な思いを表現しようと懸命だ。「死ぬのが自然で、生き残るのが不自然だった」というあの原爆下の修羅に居た者にしか感じられない思いの表現は容易ではない。
 しかし、伊勢はこの作品が希望の物語である点をよくとらえている。絶望を抱いていても湧き上がる幸せへの欲求と未来への予感。ひとつひとつの感情を慎重に描き分けている伊勢の演技が惹きつける。

 より完成度を高めるために、鵜山の要求は厳しく細かい。キャストが一新されたのだから、それはなおさらだ。
 原爆炸裂の瞬間から美津江の新たなトラウマになった雷鳴を怖がるタイミングの調整、青年から美津江がもらったまんじゅうの件を竹造が持ち出したことへの反応のデザイン、どれも物語を貫く重要なテーマにつながるシーンだけに、鵜山と2人の慎重な検討が続く。

 劇中、美津江が昔話研究会のメンバーとして、子どもたちに広島県内でお年寄りから集めたお話を語る練習をする場面があり、いわば劇中劇のような、一人語りのような微妙なシーンだけに、鵜山は、その表情や仕草のひとつひとつにこだわる。
 鵜山が「(語り掛ける)子どもたちへの目(視線)にも公的なものと私的なものがありますよね」と話すと、伊勢らは感心したようにうなずいている。

 客席からの見え方にも徹底的にこだわる。例えば、竹造が美津江に提案するお話の別バージョンで出て来る入れ歯。つまみ上げようとする竹造の手は「あまりにもでかすぎるのでは?」。苦笑する山崎。3人のやり取りはユーモラスだが、真剣そのものだ。

 家を訪ねて来る青年のためにお風呂を沸かした竹造が、美津江に青年の湯加減の好みを聞いたのに対して、美津江が「そうような(そんな)ことまでは知らんけえ。」とそんな仲ではないという軽い抗議の意味を込めながら可愛く照れるシーンで、鵜山から「自分がお湯になったような気持で」と指示され、最初は軽く微笑んでいた伊勢は、やがてその指示の意味するところの深さを感じて、心の中に沈めようとしばし目を閉じていた。

 鵜山の稽古が終わっても、自主練習を積み重ねるなど、懸命な山崎と伊勢。せりふとアクションのタイミング、そして連携。最後の最後まで突き詰めようとするどん欲な姿勢が心に残った稽古場だった。

 舞台「父と暮せば」は6月5~17日に東京・六本木の俳優座劇場で、6月21日に山形で、7月14日に仙台市で上演される。チケットは発売開始済み。

 なお、「父と暮せば」や井上の構想をもとに死後に舞台化された「木の上の軍隊」とともにこまつ座「戦後“命”の三部作」と命名された映画『母と暮せば』の物語が舞台化され、今年10月に東京・新宿の紀伊國屋ホールで上演された後、12月まで全国を巡演する予定。

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