毒にも薬にも

2011年5月8日 投稿

3/11の大震災以降、原子力や復興財源、そして被災者の心のケアにいたるまでいろんな意見がメディアをにぎわせています。

特に行き過ぎた自粛(他粛と揶揄する向きもあるようですが)や政治に対する節操のない許容と批判の繰り返しにはあきれるばかりです。

大手メディアの報道によるとほとんどの人は復興にあたり増税もやむなしと考えているらしいのですが本当なのでしょうか?わずか数年前に行った政権交代は、まさに行政の不条理を真っ正面からただす事を期待されたのであって、それは震災があれば一緒に吹っ飛んでしまうものだったのでしょうか?
社会資本が必要な今だから、本当に必要なところに資金が行き届くような仕組みにしなければいくら借金しようが増税しようがまさに焼け石に水です。しかも、ほとんどの世論を形成しているのは、「なんとなくテレビでそういっているから」「そういっておけば非難されない程度の常識を持っている人だと言ってもらえるから」という理由しか持ち合わせていないようにしか感じられません。
そんなレベルの低い多数派の意見によって、自分たちにも無意味な負担を強いられるのは正直ごめんです。

日常に於いてもそういう人は簡単に見つかります。

つまり、他人から非難されない最低限のレベルはなにかを読み取る事だけが出来て、もしかしたらそれ以上の努力をする事が損な事、そればかりか愚かな行動とすら言ってのけてしまいます。あとは自分のやりたい事、得する事に自分の持てる力を発揮するのですから始末に負えません。そういう人は集団に於いては直接非難される事は無く、周囲も「悪い人じゃない」の一言で許容してしまうのです。

その集団に、その隠れた悪を見抜く事が出来る人がいなければ間違いなくその集団は本来の集団の機能を果たさなくなります。実は社会の一員として生存する以上、集団や社会に益をなさない事自体が悪なのですが、行き過ぎた個性尊重(本来はそんなものは個性でもなんでもなくエゴでしかないのですが)と減点方式の評価主義のせいなのか、「(目に見える)迷惑をかけてないからいいでしょ」とばかりに胸を張られる始末です。

それはきっと、その本人の知性と品性のなさばかりではなく、集団の構成する一人一人に想像力と洞察力がなさすぎるのことに起因するのだと思います。

私はよく「毒にも薬にもならないやつが一番タチが悪い」と言います。

薬になる人は役立つ人ですから言わずもがなで、毒になる人は目に見えて害だとわかるからまだかまわないのです。サイレントマジョリティ(と言っていいかどうかはわかりませんが)に集団に於ける病巣が隠れている事を見抜かなければなりません。そして確実にそれによって被害を被るのは私たち自身であり、人を見る目を養わなければいけないと感じるのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?