見出し画像

事実はなぜ人の意見を変えられないのか

確証バイアスはてごわい

 僕は脳科学者の研究に関する一般向けの本を読むのが大好きだ。脳はまだ宇宙のように解明されていないことが多いというロマンもそうだが、この自分の頭に鎮座する、まったく自分の思い通りにならない謎の塊を、いつか手なずけてやるんだと浅はかにも思っているからかもしれない。

 僕は本に鉛筆やペンで線を入れるのが嫌いなんだけど、この本にあってはその誘惑に抗うことができなかった。ページごと付箋を付けた箇所もあった。

 著者は、タリ・シャーロット氏。ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン教授(認知神経化学)、同大学「アフェクティブ・ブレイン・ラボ」所長。

 この本に引きずり込まれた最大の要因は、自分が犯していた過ちの数々を鮮やかに思い起こさせ、その反省を踏まえ、今後どうすれば改善できるかのヒントをポジティブにかつユーモアたっぷりの語り口で教えてくれるからだ。

 もうひとつは、1970年〜80年代まで遡って引用する数々の伝説的な実験(マシュマロ実験など)や、彼女自身が仮説を検証するために行った実験の興味深さだ。

 サイエンティストと彼らの活動は、ミュージシャンやアーティストと同じくらいクリエイティブで刺激的だということがわかる。

 彼女がこの本、そして前作のタイトルでもある、TEDトーク「楽観主義バイアス」で強調し、

 そして共感したこと、それは「人はどんなに正しい情報を差し出されても、それが自分にとってネガティブな事実と感じる場合、それを認めることは至難の技」という点だ。

 本書の前書きにはこうある。

この20年間、私は人間の行動について研究を重ねてきた。人が決意を翻したり、信念を新たにしたり、記憶を書き換えたりする仕組みを知るため、仲間とともに数多くの実験を行っている(中略)それによって明らかになったのは、多くの人が「こうすれば他人の考えや行動を変えることができる」と信じている方法が、実は間違っていたという事実だ。他人の考えを変えようとするときに犯しがちな誤りと、それが成功した場合の要因を明白にすることが本書の目的である。

 例えば僕はこんな経験をしたことがある。みなさんも似た経験があるかもしれない。

 ある日、僕は日本と某国の製品について友人と議論をしていた。ちなみに彼は以前よりそのブランドを毛嫌いしていて、ネガティブな面を強調するだけではなくそのブランドの母国まで見下すような自説を展開しており、いささか不愉快な気持ちでいた。なぜなら僕はそのブランドと仕事をしたことがあり、そのブランドで働く人たちも、その国も大好きだったからだ。

 ある日の午後、またお得意のネガティブキャンペーンが始まった。その日は彼の説が明らかに事実を無視しているように感じたので、その話題に関して公的機関が公開しているデータを調べるとやはり彼は間違っていた。僕は少し嬉しくなった。100%反論できる。

 ところが、彼は目の前に示された情報がいかに正しくても自説を曲げることはなかった。むしろ逆で、いま議論されている本題とは関連のない情報にまで反証の手をひろげ、議論は平行線のままだった。

 以前の投稿でSNS時代の分断について書いたが、現代のSNSテクノロジーはこの傾向を一層強めていると感じる。要するに、自分の信じたいものが真実であるという傾向だ。

 本書はもう前書きから膝をバシバシ叩くくらい共感の連続なのだが、例えば30ページではこうだ。

 「賢い人ほど情報を歪める?」

自分の意見を裏付けるデータばかり追い求めてしまう傾向は、「確証バイアス」と呼ばれている。人間のもつバイアスのなかで、これより強いものはあまりない。言われてみればあなたもこんなタイプの人々を毎日目にしてはいないだろうか。自分の気に入らない意見には耳を貸さず、都合の良いことばかりを受け入れる人たち。その程度は様々だろう。だがバランス良く情報を取り入れる人がいる一方で、持論に合わない証拠には取り合わない人がいるのはなぜだろう?
もしあなたが自分のことを、推論能力に長けていて数量に関するデータの扱いを得意とする、極めて分析的な思考の持ち主だと考えているなら、お気の毒さま。分析能力が高い人の方が、そうでない人よりも情報を積極的に歪めやすいことが判明しているのだ。

 彼女は「事実で人を説得できるか?」の章をこう結んでいる。

私たちは本能的に、自分が正しく他人が間違っている情報を大量に抱いて議論に挑もうとしがちだが、それでは袋小路に入り込んでしまう。この章で紹介した研究からわかるように、反対意見を持つ人々は頭から拒絶するか、必死になって反証を探そうとするだろう。変化をうまく導くには、ゆえに共通の動機を見出せばいい。

 相手になにかに変化を起こそうとするときに最も重要なのは事実を材料に対決するのではなく、両者に共通する動機を探して、共感から始めた方が賢明というわけだ。

 さて、これを自分に置き換えてみよう。我々サッカーキッズの保護者と、子どもを怒鳴る指導者がお互いに共感できる事ってなんだろう?

自分でコントロールしている感覚が与える健康と幸せ

 また、この本の中には、例えば人を指導する立場にある人にとって、非常に参考になる実験について書かれている。

 「選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義:シーナ・アイエンガー著」という別の本でも強調されていたのが、「自分の人生をコントロールしていると感じられる人は、いつも受け身で自分はコントロールされていると感じている人よりも、より健康で幸せ」という検証結果だ。

  本書「事実はなぜ人の意見を変えられないのか」の118ページからは、1970年代に行われた古典的な研究が紹介されている。その実験は、それまでの人生で自ら握っていたコントロール権限(食う寝る遊ぶ働く休む)が極端に失われている集団「高齢者介護施設」を舞台に行われた。

 ハーバード大学とイェール大学の研究者2人は、その施設にある4つのフロアから無作為に2つを選び、「主体性フロア」と「非主体性フロア」と名付けた。

 「主体性フロア」の入居者にはこう告げた。

「自分のことは自分で責任を持ちましょうね。必要なものが全部揃っているかどうか自分で確認して、空いた時間をどう過ごすか自分で決めていきましょう」さらに部屋に飾るための「鉢植え」をひとつプレゼントされ、それも自分で世話をしなければならない。

 「非主体的フロア」の入居者にはこう告げた。

「私たちが心を込めてみなさんのお手伝をしますから、何もする必要はありませんよ」彼らもまた「鉢植え」を受け取ったがスタッフが世話をした。

 「非主体性フロア」の住人も、「主体性フロア」の友人のように、望めば何でも自分で決断することはできた。ただ、主体性への認識が変わってしまった結果、彼らの行動は変化し、自分が主導権をもつことは少なくなった。

 三週間後、入居者の状態を評価したところ、身の回りの管理を推奨された「主体性フロア」のグループは最も幸福を感じ、たくさんの活動に参加するようになっていた。頭脳も明晰になり、1年半後には「非主体性フロア」の住人より健康になっていた。

画像1

 シャーロットさんはこう続ける。

この知識では家庭でも職場でも非常に役に立つ。あなたが親ならば子どもたちにもっと責任を与えればいい。職場では従業員に意思決定のプロセスにどんどん関わらせることで、意欲や満足感を促進することができる。興味深いことに、コントロール感に必要なのは「感じること」なのだ。命令するのではなく、「主体性」を大切にしながら相手を最終的なゴールへ導く方がうまくいく。

肯定的なフィードバックによる問題解決の例

 もうひとつ、この本で紹介されている象徴的な実験がある。

 アメリカ東海岸のある病院は、医療スタッフの手指消毒を徹底させるのに手を焼いていた。施設内の目立つ箇所にどれだけ命令の指示を出しても改善されないのだ。

 そこで、電光掲示板を導入し、スタッフが手指消毒を行うたびに肯定的なフィードバック(今週は何パーセント!あなたのおかげで目標達成!)を与えるようにしたら劇的な改善を得られたという。

 一方的に命令を下してスタッフの主体性を制限するのではなく、状況をよくしているのは自分自身だとスタッフに実感させることでスタッフの主体性を高めた結果である。

脳のクセ

 この本に紹介されている研究と結果の数々は、いまあなたが目の前にある問題に対して改善のための正しい情報を持っており、かつ人々に積極的に働きかけているにもかかわらず状況が好転しないことにフラストレーションを抱えている場合、次なる一歩をプランするのに大いに役立つヒントに溢れている。

 同時に、いわゆる脳の原始的なクセのようなものが、いかに我々の人生を支配しているのかを痛感させられる。

 そして何かをコントロールすることがいかに人間にとっての「報酬」であるかを。

 でも、僕らのような素人でも少し考え方を工夫するだけでこの最先端の研究の恩恵に預かることができるのだから、試してみる価値はある。

 この本は、今年出会った本でトップスリーに入るくらいワクワクする「思考の旅」をさせてくれました。

 おすすめです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?