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【連載小説】純文学を書いてみた4-3

白杖ガールと大学生「僕」の交流を描きます。
前回…https://note.com/sev0504t/n/nb24cac588dd1
1回…https://note.com/sev0504t/n/n19bae988e901
いよいよ終盤へ。よろしくお願いいたします。
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 受験生を連れまわし、挙句の果てにはホテルへ車でイン。彼女がお母さんに本当のことを話していなかったこと。いろいろタイミングも悪かった。

 どこで誰が見ているかなんてわからないものだ。二日後、僕はまるで犯罪者のように彼女の学校から呼び出しをくらった。犯罪者のように?むしろ犯罪者であるほうがよっぽど気が楽だ。


「君は何を考えているんだ」
 噛み付かんばかりの剣幕で教頭と呼ばれたその人物は僕に詰め寄った。重そうな背広に赤と茶色のネクタイの色合いはこの世で一番センスのない色使いに見えた。薄い髪の毛の下からは血管が見えそうだ。
「君のお父さんに免じて今回は厳重注意にしておくが、もうわが校の生徒に近づかないでくれ。君は仮にも教育心理を学んでいるんだろう」

 ただ僕はそのネクタイの色だけが気に入らなかった。
「だいたい君のお母さんがこれを知ったら」

「あ…」
 その声が鼓膜を振動させる前に僕は教頭と呼ばれた目の前の人物を殴っていた。べたつく脂ぎったような感触と鈍い音を残し、いい角度で振りぬかれた拳はそのあと丸一日痛みが消えなかった。

 そんなわけで僕は彼女の学校に出入り禁止になった。



「もし眼が見えたら何が見たいって聞かれたときすごいうれしかったの」
「なんで?」
「案外私たちの学校ってちょっとそういうのがタブーみたいなところがあるのよね。先生たちも結局見える人のほうが断然多いから、へんに気を使っちゃうのかしら」
「で、やっぱり色が見てみたいの?」
「そうね。でもなんだか見ないほうがいいんじゃないかって思うものもあるのよ。見えない分だけ私は世の中の醜いものを知らなくてすんでるんじゃないかって」
「そうなのかもね。でもどうでも本当はいいんだよ。世界が醜かろうが美しかろうが」
 勢いで言い切った自分に驚いた。
「なんとなくわかるわ」
 彼女は優しくつぶやいた。

 父の専門書と点字新聞が、尾村さんから郵送で贈られるようになっても、僕の生活にとくに変化はなかった。土曜日にバイトをいれるようになったことと、女友達の家に泊まりに行く回数が増えたことぐらいだ。

 彼女と会わなくなった理由を父に話したとき、数秒の沈黙の後「そうか」としか言わなかった。


 冬が差し迫っていた。そして大学は相変わらずつまらなかった。ふと大学キャンパスで立ち止まり秋ばんできた木々を見つける。きつね色のイチョウの葉はあと数えるほどしかないが、それでも彼らはどんな風にも落ちまいと気を張っているようにも見える。時々吹く北風が身を切るような感覚を残した。振り返り家に向かった。

 いつもの尾村さんの荷物の中に白い封筒が入っていて、僕の名前が書かれていた。それは次のような内容だった。

「お久しぶりです。元気にしていますか?彩ちゃんからいろいろ聞きました。今度もう一度だけあって話がしたいと言っていました。   
 あなたが可能なら今週の土曜日に学校で待っています。本当は彩ちゃんがこの手紙を送るべきだと思いましたが、今回のことで少なからず彼女もショックを受けています。自分のせいであなたを傷つけてしまったんじゃないかと考えているのかもしれません。もう少しでセンター試験があるのでそれまでに彼女の心のつっかえを取り除いてあげたいと私は思っています。あの子を思う気持ちがあればなんとか都合をつけてほしいと思います。これはあなたのためにも大切な機会だと思うんです。勝手にこちらの思いを話してしまってごめんなさいね。でもあなたのお父さんがそうであったように、障害と向き合う本当の難しさをあなたにも共有してほしいと思うんです。」

 レポート用紙のような簡素な便箋に書かれた言葉をもう一度読み返してみた。会いに行く?彼女にあって何を話すことができるのだろう。確かに彼女には会いたいが、あの学校に行くのは気が重かった。

 僕はダンボールに詰められた、黄色い背表紙のいつもと同じ大きさのファイルを抱えた。七つのファイルは思った以上に重く、両腕に二本のしわが浮かんだ。父の治療室まで落とさないように細心の注意を払って運ぶ。ちょうどそのとき治療室から初老の婦人が出てくるところだった。

 待合室と治療室を通じるわずか1.5メートルほどの廊下をお先にどうぞと譲った。その婦人はお世話様と言ってファイルで顔が半分隠れた僕に丁寧にお辞儀をした。

「いつも時間を私のためにとってくれてありがたいわ」その女性はとても満足そうな笑顔を僕に向けて靴底の薄いサンダルに音をたてて足を押し込んでいる。ありがとうございました。と、ついバイトの癖で言ってしまった。すると治療室のドアが開いて父が出てきたところだった。

「尾村さんの荷物届いたから」
「おう。わるいな」

 たった1.5メートルの廊下を父は僕のために譲ってくれた。治療室に入ると、どこか田舎の病院で嗅いだことがあるようなオキシドールのにおいと、少しすっぱい鼻を突くにおいが混ざり合っている。2台あるパソコンには、彼女がすごい勢いでタイプしていたあのタイプライターに似たキーボード。それがそれぞれ接続されている。

「最近のファイルは黄色いんだ」
 幅広い大きめの脚立にのって本棚の一番上に僕はその七つのファイルを丁寧にはめ込んだ。

「そうか、昔はひとつの色しか出回ってなかったみたいだが、最近はいろんなのがあるらしいな」

「色ってどうなの?」

 窓を開け煙草の火をつけた父を見て、今日の予約が全部終わったことがなんとなくわかった。

「色は大事さ、全身黒や白ってわけにはいかないだろ、自分の服の色くらいは俺もわかっているつもりだ」

 父は「似ていそうで服にもいろいろなラインや質感の違いがある。これは青っぽいだろ」と胸の辺りを指した。正解だった。
 
「コーヒーでも入れようか?」
「頼む」

 台所にあったドリップコーヒーをいれた。ポットのお湯は少しぬるかったけれど気持ちが休まるには十分だった。

「尾村さんからメールもらったよ」 
「へー、何だって?」
「またお前にファイルを取りに来てほしいって」

「いやいや出禁なのに。煙草もらうよ?」
「ああ、お前煙草一日に何本くらい吸ってるんだ?あんまり吸いすぎるなよ」
  
「一箱もいかないよ。自分こそ治療室で煙草なんてあんまりよくないんじゃない」
「特別だ」

「特別が多いね」

 父は用心深く灰皿の上に何度も煙草を押し付け消すと、パソコンのデスクにのった青いファイルをいつものように本棚にゆっくりしまった。その一連の動作を見届けて僕はコーヒーを手渡した。

「昔、母さんと山登りにいったんだ。こっから北に見えるだろ?あの山だ。ちょうどこの季節、本当はもっと早く紅葉がきれいな時期に行こうといっていたんだが、その年は俺が国家試験の年でな、結局落ち葉が多くなった山に登ることになった。それまで俺は見えないから景色なんか興味もなかったし、体力を使うことはどうも気が進まなかった。でも母さんはあんな感じだろ?なかば無理やり手を引くように連れて行かれたんだ」

「母さんらしいね」

「ああ、それで山すそまでバスで行ってちょっとした休憩所があるんだが、そこでトイレにいったんだよ。俺たちってのは使い慣れないトイレってかなり抵抗があるんだが、案の定トイレで迷っちまったんだ。どうしようか思って母さんを呼んだんだよ。そしたら全然反応がないんだ。しょうがないから便器らしいところに小便して何とか出てきたんだよ」

「母さんは何してたの?」

「ジュースを買ってきたって二、三分してやってきたんだ。『えらい困ったんだぞ』って俺なりに強く言ってみたんだけれど、母さんは『ズボンも汚れてないし大丈夫よ』ってぜんぜん相手にしてくれない。でもな、さすがにトイレを汚したんじゃないか気になって見てきてくれって言ったんだよ。」

 タバコの煙をゆっくり吐きながら父は話を続ける。
「まあ、母さんも渋ったけれど、公共のものを大事にするって気持ちは俺のなかで大切なことだったからな。お願いしたんだ。しばらくして見てきた母さんは大笑いだった。おれが便器だと思って小便したのは掃除ロッカーのようなところにある小さな洗面台だったんだよ。なんだかそれを聞いたら俺も可笑しくてな。山まで行った一番の思い出がそれなんだ」
 不覚にも思わず笑ってしまった。父もつられたように笑みをうかべる。
 父は北のほうを向きながら初めて僕が知らない思い出を話を続けた。

 父は首を少し回転させながら自分の肩をもんだ。
「母さんは説明力が本当に無くてな。『海が見えるわよ』とか『車があんなに小さく見える』なんて自分ばっかり楽しんでな。こっちのことなんてお構いなしなんだよ。で、少しは説明してくれって俺が言うと、めんどくさそうにこういうんだよ『あなたは四.五感を使ってかんじなさい』ってな」

「4.5?」

「俺は光なら感じることができるからな、だから五感ではないけれど四.五感なんだとさ。面白いこと言うだろ。でも楽しくないわけじゃないんだ。周りに気を使って接する人間が多かった分、俺にとって母さんは世界で一番気を使わないですむ人間だったんだよ。だから楽しかった」

「初めて聞いた。そんな話」
「なんとなくな」
「じゃあ母さんはやっぱり点字なんてやらなかった?」
「どうなんだろうな、白杖とか点字紙なんかは消耗品だからよく代わりに買ってきてくれたが、点字をやってるなんて話は聞いたことがないな」

 父は二本目の煙草に火をつけた。

「とりあえず尾村さんがいいなら、ファイル取りに来週行ってみるよ」
「ああ、悪いな」

 僕はブラックのコーヒーをおかわりした。ちょうどいい苦味。

 父が買い物をする小さな雑貨屋があった。マイルドセブンが三カートンとドリップコーヒーのお徳用パックが常に父のために用意されていて、二十年来ずっとそこで父は煙草とコーヒーを買い続けてきた。母もそれは同じで、歩いて十分の商店街に食材は買いに行った。二人で出かけることもあれば、それぞれで出かけることもある。商店街までは一本だけ車通りの多い県道を横切らなければならないが、音声の信号を十五年ほど前に市が取りつけてくれたおかげで、父の行動範囲は格段に広がった。単独歩行というのはそれなりのリスクが伴うが、幸運なことに父は車にひかれたことはない。

 父は町の電気屋でパソコンを買い、町の酒屋でウイスキーやビールを買い込んだ。割高だろうと僕が行ってもそれはやめなかった。

 大学には車で行くようになっていたが、金曜日の帰りに、家の近くにいつの間にかできたコンビニに気が付いた。立ち寄って煙草と缶コーヒーを買った。六時になればもうあたりは暗闇に包まれ、コンビニの明かりはまぶしくて眼がくらむ。

 その夜帰ると「明日から家政婦を頼んだ」と父は僕に告げた。

つづく

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次回最終回です。たぶん…
いつも読んでいただいてありがとうございます。
マイルドセブンの響きが懐かしく感じてしまいました(笑)
暑い夏、皆様ご自愛くださいませ。

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