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【連載小説】純文学を書いてみた4-1

白杖ガールと大学生「僕」の交流を描いたお話です。舞台は平成20年頃です。
前回…https://note.com/sev0504t/n/nb5ce0f041ed1
1話…https://note.com/sev0504t/n/n19bae988e901
13回目よろしくお願いいたしますm(_ _)m
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今年の体育の日は不自然なほど暑かった。

「ジーンズじゃなくても似合うじゃん」
「そう?なんかスカートってちょっと苦手なんだよね、でもお母さんが海に行くならこの方がいいよって」
 彼女の白いワンピースと羽織った黄色のパーカー。決して高いものじゃない、それでもどんなショップのショーウィンドウに飾られた高価な服よりきっと彼女に似合うだろう。

 突然だった。先週の土曜日「海に行きたい」と彼女が言った。反射的に僕は「いいよ」と返す。初めての車での「勉強会」は紛れもなく普通のデートだった。

 10月の初旬。それにしては夏の暑さを思い出させるような日中になった。太陽の角度が増せば彼女に買っていったコーラの缶は汗を大量にかいた。
 カセットテープしか再生できない古いカーステレオからは母の残したクラプトンの「ブラック・サマー・レイン」が鳴っている。車の両サイドの窓は全開にして、僕らは大きな声で言葉を交わした。

 いろいろな話をした気がする。今まで一番楽しかったこと。お互いが読んだ本の感想。ロックとブルースの違い。男と女の違い。

 最後の話題が一番盛り上がった。彼女は女の子の恥じらいについて意味がわからないと連呼していたし、また、男の性器の構造について自分なりの見解を述べていて、あまりに真剣なものだから、「人によっては二本とか三本もあるんだぜ」と冷やかし半分でいったら本気で信じそうになっていた。
 あわてて僕が訂正すると、「ばか」といつもの明るい乾いた声が窓の外へ風と一緒に飛び出した。
 
「あっ」
 彼女の息が漏れるような声が聞こえた。
「もう少しなんじゃない?香りがする」

「よくわかったね、俺は鼻炎だからわかんないや。きっとこの下り坂が終わる頃には一面に海が広がるよ」

「鼻炎?タバコの吸いすぎなんじゃないの」
「それ、いえてる」

「ねえ、わたし、海は広いってよくわからないのよ。プールの大きなようなものだって聞いたとき、世界のどこかに大きな蛇口があって塩水を絶えず流しているのかと思ったの。おかしいでしょ」

「そうか、でも案外そうなのかもよ」

「そんなわけないでしょ、混乱させないでよ」

 息が止まりそうになった。
 こんなに笑ったのはいつ以来だろうか。
 少し高いシングルモルトの国産ウイスキーを飲んだ時の饒舌な父を思い出す。

 いつも僕は満たされた気持ちになると、その満たされた気持ちがなくなってしまう時のことを考え、憂鬱になった。今、その感覚がないのはどうしてだろう。何かもっと原始的な感情だからなのだろうか。それともこの満たされた感情は一過性のものだと無意識の理解があったからなのだろうか。

 車の振動のリズムが少しずつ変わり始める。波打つ壮大な青の平原はすぐそこまで近づいていた。

 海辺の駐車場に降り立つと、僕らは波打ち際まで砂浜を歩き、その風と波の音、湿った空気、夏のような日差しを共有した。

 夏に日差しを浴びすぎたのか、日焼けをした少し黒っぽい砂浜にはところどころロケット花火のくずが落ちている。
 砂浜にザクザクと彼女の持つ白杖が音を刻む。

 彼女の横顔は凛としていて、視線の先は海と空を分ける水平線にあるような気がした。もちろん視界の果てまでも続く海原は彼女の網膜に映ることはない。正確に言えば網膜に映った実像を神経が脳に伝えることはない。

 父も同じだ。
「それがどうした」父は言うだろう。
「それがなに」死んだ母も言うだろう。
 そんな気がする。

 僕はふと思った。父親の障害者たる甘えを、母は父の矜持を大切にしながらも、鼓舞するように寄り添い励ましたのかもしれない。

 もちろん、そんなことはもうわからないのだけれど。そんな気がするのだ。

 僕の五感は海を捉えて離さなかった。体の隅々が海をはじめて感じたような興奮を覚え、彼女の手を握った僕の手は、明らかに汗ばんでいるのがわかる。波しぶきの音が特に心地よい。

 うーんと彼女は大きく深呼吸をし、大きな目を閉じた。
「海はどんな様子なの?」
 彼女は試すように僕の方を向き微笑む。
「白い波がキラキラとした帯を流したように揺れています。海の青は群青色の絨毯のようです。空は、空は広い青いキャンパスに塗られた白ペンキのようです」

「素敵な物語のような表現ね。でも微妙かな」
 少し唇を突き出して、わざと不満そうな声で彼女は答えた。
「きびしいね」
「ごめんね。でも正直な感想よ。まあ誰がやっても同じなのよ。色以外の帯とか絨毯はわかるわよ、でもやっぱり海そのものはわからないの」

 それは、諦めでも悲観でもなんでもなかった。声にこそ出さなかったが「私は十分海を満喫してるわ」といったような顔に見えた。もちろん、これは、僕のおごりかもしれないけれど。


「ちょっと海に入ってみたいんだけど」
 言いながら彼女はもう靴下を脱ぎ、僕の手を引っ張っている。さすがに波の音が近いと察するとグッと僕の腕を握る力は強くなり、彼女は慎重に片足を伸ばして打ち寄せる波と海水で湿った土を確かめた。

「冷たいね。でも、気持ちいい」
 いたずらに足をバタつかせ、やっぱり彼女は海を満喫していた。

「ねえ、もし目が見えたら何を見たい?」
 僕も正直な気持ちで聞いてみた。
「そうね、美しい自然もいいけれど、私は色を見てみたいわ」

「色?」
「小学生の時ね、見えないけど漢字も勉強するのよ。最初は山とか川なんて簡単な字を音と意味といっしょに覚えたの。」
 僕は無言でうなずいた。

「それでね、小学校6年のときに私は初めて自分の名前の漢字を知ったのよ」

 僕らは出会ってまだ互いの名前を知らなかった。知る方法はあったろう。でも、それをしてこなかったし、僕らにとっては別段奇妙なことではなかった。
 

 一呼吸おくと彼女は続けた。

「私の名前『あや』っていうの。漢字で書くと色彩の『彩』という漢字なの。可笑しいわよね、私は盲目で色なんて感じ取ることできないのに、名前が『彩り』って意味があるなんて」

「だから言わなかったの?名前」

 僕はほんの少し言葉を選んだ。彼女の、いや、彩の髪は湿った海の風に揺れ、その風の先には水平線に揺曳する小さな青黒い漁船があった。

「名前を言わなかったのは、あなたが名前を先に言わなかったからよ。」

「そっか」

 僕は自分の名前を彩に告げた。
 名前に彩は興味を持たなかった。僕の名前はもぎ取られたような格好で空中に浮いて、小気味のよい波の音に流された。

「とにかく色って私にとって永遠の興味なの、どうやらこの世には色と言うものがあるらしい。このくらいの理解でしかないんだから。でも、まったくイメージできないかっていえばそうでもないのよ。生活経験としていろんな色を先生やお母さんは教えてくれるの。黒は暗闇の黒で、私が夜に感じる静けさのようなものを持っているだとか、白はまっさらで何もない光のような色。そんなふうにわざわざ教えてくれるのよ。黒と白くらいは、光覚あるからなんとなくわかるんだけどね。でも知りたいのはほかの色、鮮やかな色、山の色、海の色、肌の色」

 彩は下唇をわざと突き出し怪訝な表情を見せるとその後悪戯っぽく笑った。僕も声を出してかすかに笑う。彼女にとっての変な顔は僕との交流の証でもあった。

「光が白で、光がないのが黒だとしたら、どっちがいい?」

「黒が好きよ、一番光を吸収する色なんでしょ?だったら白よりも黒のほうがすべてを知っているって気持ちになるわ。でも不思議ね、触れることができない意味を持つものって。確かめるすべがないんだから。悪魔の証明と一緒なのね」

 彼女らしい気がした。

「でも、私は今とっても幸せよ。なんだか、今まで内に溜まっていたものがどんどん外に出ていくかんじ。世界を感じるの。でもそれは今まで見える人の感情とか世界がわからないってことじゃないのよ。どちらかというとそれをひとつひとつ確かめるような感覚なの」

「みんなに大切にされてきたんだね」

「そう?それはわからないわ。もしかしたら大切にされてきていないことも、傷つくようなこともあったかもしれない。けれど、私は気が付かなかったわ。見えないことがいいこともあるのかもね」

「偉大なことだよ。そう言えるのは」

そして、僕らは海に別れを告げた。


 名前を知った後も、僕は今の今まで彼女を名前で呼んだことがない。「ねえ」とか「あなた」とか「君」で事足りてしまってきた。それは幾分かの照れなどではない。まるで名というものに隠れた瑕疵があるような、そんな危うさを覚えたからかもしれない。

 人は生まれる環境も名前も選ぶことはできない。多くの生き物たちは自分たちに名前があるなんてことも知らない。茫漠とした空間の中に人は絶えず意味と名を与えてきた。

 色。それはやっぱり変だ。彼女のいる世界、父の世界は僕とは違うのだろうか。もはやこの感情は無視することも拭い去ることもできなくなっていた。僕にとって意味のある名が彼女にとっては無意味であることがわかってしまったからだ。全身を得体の知れないむず痒さが僕を襲った。重さも、輪郭もないのだけれど、胸を締め付け焼けるような感覚を僕に残した。あの夏のような日差しとともに。

つづく

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このお話はフィクションです。
次回作を構想中です。

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