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【連載小説】私小説を書いてみた4-4

前回のお話https://note.com/sev0504t/n/n272959bde968?magazine_key=m8bdfdc55c4a5
最初からはhttps://note.com/sev0504t/n/na0680fb0802d?magazine_key=m8bdfdc55c4a5

-- -- -- -- -- -- to return

再会

 人間らしさを廃したかった。感情や人の想いをそぎおとして、空洞のような世界を感じていたかった。でもそれはだめだった。求めれば求めるほど感覚は鋭敏にぼくに向かい、人間らしい何かを心にぽつぽつと宿していく。

「友達と連絡とれましたよ。坂下先生も今から来てくれていいって」
 遠くから鼓膜を揺らしたその声に僕は驚くほど速く立ち上がり美山さんの方を向いた。

「ありがとう、ありがとう、なんてお礼言ったらいいか」
 僕はたぶん泣いていたんだろう。美山さんの手をとって気持ちが溢れている気がした。不思議なことだ。そんな僕を見つめるもう一人の自分も安堵している気がした。

 美山さんは友達から聞いた坂下先生のいる病院の住所を僕にゆっくり手渡した。
「本当にありがとうございました」
 僕はあの名刺といっしょにそのメモをポケットにしまう。傷つけば価値が失われるガラス玉を心配するようにゆっくりとしまった。

 美山さんは何か言いたそうな顔をしていたが、お礼を伝えると僕は足早に進んだ。目指すものに。

 あとから考えれば美山さんは僕の身を案じてくれたんだと思う。だってそうだろう。涙で顔をくしゃくしゃにした髪の毛のない人が病院を目指していくんだから。

 
 さらにバスと在来線を乗り継いだ。2時間と少し。もう時刻は15時を過ぎようとしていた。
電車のなかで首から下げた鞄に入れた文庫本をひとつ取り出した。古本屋で110円で買った「楢山節考」を読んだ。2回も通して読むことができた。昔からの本は好きだった。たくさん読むのでなく、何度も読んだ。小学校の音読の宿題のように。

 電車の揺れが変わると車窓から海が見えた。今までみたことがなかったような心地があった。一瞬見えた海は光に照され、それはそれは何かの宝石のように美しかった。

 その病院は海と砂浜が臨める場所に建っていた。冬の午後の光を斜めからうけた白く西洋風の造り。それは少し大きめな教会のようなたたずまいを見せる。入口に近づいたとき、微かに塩の薫りがした。耳を澄ませば規則的な波のリズムが聞こえる。

 体力はとうに限界だった。首から背中にかけて鈍い痛みがあったし、空腹で胃酸か何かが身体のなかでめぐっていた。でもそれが自分の感覚を何度も呼び起こす。こんなにも生きることを感じたことはなかった。たぶん好きだったライブでも、好きだった人や友人との時間でも、今までの「生きた」と思ってきたいくつもの経験を越えて僕の身体のそれぞれに響く。

 小さい病院だった。ベッド数は30あるだろうか。メモをみて107号室のドアの横、坂下先生の名前があった。

 どんな顔で会えばいいんだろうか、何の話をすればいいんだろう。髪がどんどんなくなってスキンヘッドにしたこと。理世という同じような病気を患った女の子のこと。

 坂下先生に会わなければと思った中身の部分はなんだったのだろうか。坂下先生の存在への感謝のような気持ち。いや、ちょっと違う。僕が何者かになってしまった報告か。いや、それもちょっと違っている。

 結局、自己満足なのかもしれないと思う。衝動や感情、空腹や不健康、それから自分に巣くう虚無をエネルギーに、大いなる自己満足を得ようとしているのだ。それは生と死とかそんな領分にすら立ち入る自己満足。

 何かの心が動いた気がした。
 僕は病室のドアを開けることをやめた。
 

 次の瞬間だった。

 「お久しぶり」
 廊下の少し奥から坂下先生の声が聞こえた。

つづく

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