超ショートショート「熟成下書き」

 下書きを熟成させるという文章の作成手法があると知ったのはもう随分前のこと。寝かせれば寝かせるほど熟成され、クオリティが高くなるという。僕は早速この手法について試してみる事にした。

 とある投稿サイトにエッセイや日々の生活で感じたことなどを毎日投稿することが日課となっている。毎日1本公開しなければならないので、1日に2本以上執筆していかないと下書きを増やすことはできない。僕は、日常のいろんなテーマを探し出してはエッセイや短編小説を執筆して下書きにストックしていった。

 数ヶ月が経った頃、ストックは100本近くにのぼっていた。多くの文章は噂通り熟成が進んでおり、期待通りの進行具合であったが、いくつかは傷み始めてしまっていた。季節ものだったり生ものを扱う記事は特に傷みやすいことがわかった。傷み始めた記事は早い段階で公開してやりくりしていたが、根本的な部分を改善しなければならないと感じていた。

 ワインの熟成手法を着想として管理方法を抜本的に見直した。まずは温度管理。ストック内を低めの温度に保つ為、「冬」とか「かき氷」というようなテーマを扱った記事が温度を低くする事に着目し、下書きに追加した。次は湿度管理。湿度は高めに設定しなければならない。これは「夏の入道雲」をテーマにした記事を入れてみたが、温度が上がってしまったのですぐにやめて、「梅雨」や「加湿器」の記事で調整した。そして最後に、ワインと同じように日の光に当てない事にも気をつけるようにした。記事を書くのは日中を避け、夜、部屋の電気を落として暗闇の中で下書き管理をするようになった。

 試行錯誤の結果、傷む記事は劇的に減っていった。微調整を続けながら、日々下書きの熟成についてPDCAを丁寧に回していると、気がつけばもう7年が経っていた。毎日2本以上書くことを続け、今では下書きは数千本もストックされている。

 毎日毎日、下書きにストックされた記事を吟味し、「今日はどの記事を開けようか、この記事はまだ早いかな」なんて大きなワインセラーを所有する金持ちになったような気分で記事を公開する。「落ち葉」とか「ラムネ瓶」なんていう季節ものは1年以上熟成させて、季節にあったタイミングで公開したいし、「タピオカ」など、生ものを扱った記事もあえて適切な熟成を数ヶ月施してから公開したりしている。

 ただ、一つだけ、頭を悩ませる問題作があって、こればっかりはいつ公開すべきか決めあぐねている。ストックを初めて間もない頃に仕入れたその年の流行語「今でしょ!」の記事は、いつチェックしても今じゃない気がして、公開ボタンが押せないのだ。絶対に「今」がこない、下書きの秘蔵っ子となってストックの最奥に鎮座しているのだった。

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