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恥と潔さの板挟み

※この文章には、ちくちく言葉どころか、ざくざくグサグサずぶずぶ言葉が多量に含まれております。真剣白刃取りに挑む覚悟でお読みください。

売れてない劇団の、大して人気もない役者が、壮大なテーマの芝居に挑む、そういうのを物凄く恥ずかしいと思う感覚がある。

私なんぞにつとまるはずもありませんが、精一杯やらせていただきます?
知らんがな、で、面白いのんかいな、と思ってしまう。

上のように思ってしまう私が、来年、右翼だの左翼だの男だの女だの人間だのという演劇をやる。
演目は、三好十郎の「殺意(ストリップショウ)」。タイトルからして、あーはいはい観なくてもだいたいわかるよと言いたくなるのではないだろうか。答え合わせしましょうか。戦後のストリッパーが自分の半生を語る一人芝居です。当たらずも遠からず、といったところでしょうか。

長くなってきたので、要旨を先に言うと、私はこの作品を「戦争反対しよう!」みたいな大義名分をもって選んだのではない。

もちろん戦争は嫌だ。

でも、自分のようなちっぽけな人間が何か叫んだって、起きるときは起きる、一人では止めようのないものだと思ってる。

まして演劇なんて、限られた人数にしか見せられないメディアには、さしたる抑止力はないと思う。主語がでかくなっちゃったので撤回、少なくとも私の演劇にはそんなのできっこない。

だって、私はそんなに志も高くないし、インテリでもない、ただの筋肉馬鹿だ。そんな自分にも、他人にも世間にも、期待はしない。

そんな私がこの作品を今やろうと思ったのは、
どういう人間が、あの不条理を生き抜いたのかを知りたいと思ったからだ。自分が。至極、自己中心的な理由だけど、綺麗事よりは惹きつけるものがあると思ってる。

世間に対して、誰も聞いてないのにデカいことを虚しく叫ぶなんてエネルギーの無駄だ。その分筋トレするのだ私は。バカなりに本も読むのだ。そして静かに備えるのだ。

世間がどうであろうと、私は生き残る。

願わくば、私のお芝居を観てくれる人も生き延びてほしい。とまで思うのは烏滸がましいので遠慮するけど、正直願ってはいる。

宗教ではありません。笑

面白き こともなき世を 面白く
とまでは言えず
ひとり筋トレ


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