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あなたがひとつの色である真実

桜が散りはじめると
新たなスタートが始まったと
私は感じてしまう。

時の波と上手に付き合えているのかと
ふと思ったり。

今日はテクニカルや表現の話しではなく

あ、いや

もしかしたら表現の話しかもしれない。

私が最初にヨーロッパに行ったのは
大学を卒業して一年くらい経った頃。

贅沢にも大学院浪人をさせてもらい
親には悪いが、勉強もせずに
ある種腐っていた時期で

ただ歌うことには必死であった時期。

なんとなく腐っている私を見兼ねて
ヨーロッパに出してくれた
親には感謝しかない。

そして、そこで見た現実は
歴然とした音楽への
根本的美意識の差であった。

オーストリアでも
イタリアでも
フランスでも

頭を叩き破られながらも
レッスンを受けたものだ。

一年ほどフラフラして
私は24歳で既に音楽専門学校で
講師の職についた。

よくこんな若造があんな大きな
当初、音楽の専門学校の講師に
抜擢されたもんだ。

そして、私のキャリアの
基盤を早々に与えられたことに
感謝しかない。

30代は毎年、冬休みに
当時、友人が留学してたparisに
レッスンを受けに行ったものだ。

ステージで歌う経験も積み重ねて
ある種、輝いていると
勘違いしていた時期かもしれない。

40歳くらいだったろうか。
ミラノに行った。

なんとスカラ座の

前から5列目の席のチケットを
手に入れた。

演目は『サロメ』

オスカーワイルドの戯曲に
R.シュトラウスの作曲。

衝撃的な傑作を
世界の殿堂スカラで観れる!

演奏家に敬意を表するには
最高のドレスアップをしなくてはと
ミラノの街を走り回り、ドレスを調達した。

胸は高鳴った。

今までもパリのオペラ座や
ウィーンの学友協会でも
素晴らしい演奏を肌で感じる
機会はたくさんあった。

そして、自分が表現者として
また教える人間としキャリアを積み

観る目も、聴く耳も肥えたはずだ。
更に吸収できるはず!!

そう思ってスカラ座の
前から5列目でワクワクしていた。

始まってすぐ私は打ちのめされた。

『歌は、こういう人達が
歌うべきものなのだ。』と。

豊かさを超えた声。
何かを超越した全身から
ほとばしる輝き。

聖書にあるモーゼの十戒の
海が割れるような奇跡のような
エネルギー。

演目の凄さもあいまって

私の細胞はあまりの素晴らしさに
感動を通り越して、絶望した。

私など歌ってはいけない人間なのでは
ないかと感じた。

暫く立ち直れなかった。
日本に戻っても朦朧としていたのを
未だによく思い出す。

音楽をやめようと思ったくらいだった。

そして、私は今。

表現することを辞めてはいない。

私はあの時、確かに
『絶望』したのだ。

そして『絶望』するエネルギーが
あったのだと感じている。

『絶望』するエネルギーを
力に変えたのだと思う。

今は、そう感じている。

あれから20年くらい経った
今、私が言えるのは

「私は私という色」なんだと

深くわかったからだ。

それ以外の色も尊敬し感謝し
私という色も絵の具やクレヨンの中の

オレンジとか赤とか名前はついて
いないけれど

私自身が既に
「私というカラー」
という

至極、シンプルで大切な
真実を受容したことで

私は成長することが出来た気がする。

誰とも、何とも闘わない。
自分自身の内奥にある
未知な機能とただひたすらに
向き合ってきたからだ。

とても才能や表現することに
真剣な愛がある人ほど

芸術を辞めてしまう人がいるのを
長年見てきた。

真面目さ故だろう。

ちゃらんぽらんが良いなどとは
私は決して言わないけれど

深刻さからは
何も生まれない。

真剣に仕事をすることだ。

その『ひたむきさ』

こそが芸術であり、愛であり
『あなたの真実の色』
なのだ。

悩んで腐って落ちていくのなんて
とてももったいない。コスパも悪い。

色々な負のことも糧に
ひとつのことを掘り下げることだ。
それが一番、楽な道だと気づくこと。

4月は新たな環境に身を置く方も多いだろう。

ワクワクやら緊張された方に

このメッセージと共にいて
頂けたらという思いで
書いてみた。

今日も読んでくださり
ありがとうございます。

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