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「時間が経っても、気にかけてくれてありがとう」被災地支援を続ける写真家に聞いた、西日本豪雨から3年

岡山を拠点に活躍している写真家の白井崇裕さんは、西日本豪雨で泥水に浸かった写真を一枚ずつ洗浄して持ち主のもとへ返す【写真洗浄】のボランティア活動などを行ってきました。

被災から3年の今、どんなことを感じているのか、香川・岡山で活動するYouTuberの瀬戸内サニーがお聞きしました。

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——白井さんは、災害当初から物資支援・避難所支援・写真洗浄とさまざまな支援活動をされていますが、そのきっかけは?

災害当時、自宅エリアで避難判断水位を超えていたので、家族をたたき起こして避難所へ逃げました。翌朝になってみて大きな被害はなかったのですが、テレビを付けたら真備町が大変なことになっていて……。「自分が無事だった分、これは何かしなくちゃいけない」という強い衝動があったんです。

——最初に始められたのは、被災者の要望に応じて雑巾や掃除用具などの提供を目的とした支援「ぞうきんプロジェクト」でしたね。

家が浸水した友人に、どんなことに困っているのか尋ねたら「清掃用具がほしい」と言われたことをきっかけに立ち上げました。まずは真備町の友人の所へ行って、浸水した家の片づけをしたり、何が必要なのかを現地調査するところからスタートしました。

——被災直後の真備に入った時、まずどんなことを感じましたか?

そうですね……。「一体どうなっているんだろう?」っていうのが一番でした。印象としては、被災した家の中が川の中みたいだなと。川にあるものが、全部家の中にあるんです。

泥、匂い、ごみもあって、誰もが「何から手をつけていいのかわからない」、そんな状況でした。片づけをするのには、まず家の中にある泥だらけのものを、とにかく全て、なにもかも捨てなくてはいけなかったです。

——……想像しただけでも、言葉に詰まってしまいます。

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その中には、写真もありました。多いところだと、一軒に何万枚もの写真があります。後々、いろんな方のお話を聴く中で、家が被災してどんなにものを捨てなくてはいけない状況でも、どうしても手放せないものが2つあるんだと感じました。それは、お位牌と写真です。写真は、それくらい特別なものなんですよね。

被災した写真は、濡れたまま放置されてしまうことが大半で、そのままでは腐敗してしまいます。乾かせば腐敗を止められますが、腐ってしまうと元に戻すことは難しい。泥水に浸かった写真の扱いや、修復についてはあまり知られていませんでした。

——写真家として被災時に感じていたことは、どんなことですか?

カメラを持っていたものの、最初は真備で写真を撮れなかったですね……。撮っていいのだろうか、という気持ちもありました。でも、家が浸水してしまった友人から「白井さん、残しておいて。こんなことになった状況を、撮っておいてもらった方がいいと思うんだ」と言われ、シャッターを切りました。その言葉がなかったら、撮ることはできなかったと思います。

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——先ほど、洗浄した写真を受け取りに来られている方がいましたね。どんな声がありますか?

「こんなきれいになってうれしい」と言っていただけることが多くて、少しでも力になれていることが、私自身もうれしいです。「この写真が残っていて良かった」と話される方もいました。

——写真って、大切な瞬間を捉えたものですもんね。写真洗浄は、どのように作業をされているんですか?

まずは、乾かすことがとにかく大切です。洗濯ばさみでアルバムのページを広げるなどして、しっかりと乾かします。次に、アルバムから写真を取り出して水やぬるま湯で汚れている部分を洗い、水を切って干します。仕上げとしてエタノールを付けた布できれいに拭き、アルバムや袋に入れてお返ししています。

——特に難しいところは?

写っている像を消えないように洗浄することです。ネガの洗浄でも同じですが、バクテリアで分解されたところをしつこく洗浄すると、残っている像まで消えてしまうんです。

顔が写っている部分が残せたらある程度洗浄を止め、像を残すことを優先しています。洗浄作業をしていると、その人の興味や思いなど、写真にすべて詰まっていることが伝わってきます。

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——写真洗浄でも、日本全国からボランティアが集まったとお聞きしました。

多い時には100人もの人が集まってくれました。東日本大震災で写真洗浄をやっていた経験者の方もいますし、「自分の地域に帰ってからもできることがないか」と、地元へ写真を持ち帰って洗浄してくださる方もいました。家の片付けなどは力仕事ですが、写真洗浄は幅広い方に参加していただきやすかったと思います。

災害支援には、節目があります。例えば、ボランティアセンターが一定の役割を終えて閉鎖すると、同時にボランティアさんも減っていきます。災害時に支援が必要なのは明確ですが、現在も写真が集まっているように、継続した支援活動は必要です。ただ、今は地元のみんなで地域を助けていく空気感が生まれていて、次のフェーズなのかな、とも思います。

真備では今でも、「ボランティアで来てくれた人たちに感謝を伝えたい」という声を耳にします。足を運んで現地で支えてくれたこと、気持ちに寄り添ってくれたこと、義援金やメッセージを届けてくれた方、少しでも気にかけてくれたり、思い出してもらうこともその一つ。それぞれの支援や応援の形が届いていて、その一つひとつへの「ありがとう」があると感じています。

——ちなみに、白井さんにとって印象的だった「ありがとう」は?

被災した家の片づけをお手伝いしたお宅に、少し前にふらっと立ち寄ってみたんです。どうしているのか気になって。そしたら、「時間が経っても気にかけてくれてすごくうれしい、ありがとう」って言ってもらって。思いがけず喜んでもらえて、うれしかったですね。また顔を見に行きたいです。

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——大きな被害をもたらした西日本豪雨から3年。今だから感じるのは、どんなことでしょうか?

これだけのことがあったんだから、みんな真備には戻ってこないだろう、そう思っている人は多かったと思います。でも、3年経った今、家を直したり、新しく住居を構えて真備に帰ってきた人が沢山います。ふるさとって、かけがえのないものなんだと改めて思いました。

災害では、当たり前の生活が一瞬で奪われてしまいます。それでも、時間をかけて暮らす家、家族とテレビを見る時間、そういった「日常」が少しずつ真備に戻ってきています。日常が戻り、災害の話題が少しずつ減っていくということは、復旧と復興が進んだことでもあります。

そうやって前に進みながらも、次の災害が起きたときにどうするのか、この災害から何を学んだのかはしっかりと見つめていきたいというのと、支援してくださった方への感謝の気持ちをこめて、災害記録誌「災害を忘れないで」をこの度、川辺地区のみなさんと製作しました。

ここまで復興が進んできたのは、多くの方たちの支えがあってこそ。「ありがとう」の気持ちと共に、一枚でも多くの思い出を残せるよう、これからも写真洗浄を続けていきます。

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白井崇裕
第一商事株式会社/代表取締役
写真家として鉄道・観光に関連した書籍へ写真を提供しながら、各地の観光プロモーション等にも携わる。平成30年7月の西日本豪雨では、市民団体「ぞうきんプロジェクト」を立ち上げるほか、写真洗浄、物資支援・避難所支援・災害ボランティア支援等を行う。災害支援ネットワークおかやま 世話人、ぞうきんプロジェクト実行委員会 代表など。
真備町写真洗浄会
現在も、写真洗浄の依頼を受け付けています。また、中国・四国在住の方限定でボランティアを募集しています。新型コロナ感染拡大防止を考慮し、団体受付は休止しています。マスク着用、手指消毒等ご協力の上ご参加ください。状況により、休止する場合もございます。開催日、最新情報はFacebookページにてご確認ください。
場所:倉敷市真備町箭田1737-1
時間:9:00~16:00
詳細:真備町写真洗浄@あらいぐま岡山 Facebookページ
電話:090-3802-4592(参加申込は不要です)

今回の西日本豪雨3年復興応援プロジェクト「3年前はありがとう」は、岡山愛溢れる企業パートナーさんと一緒に復興地を応援しています👇 

【FIX】瀬戸内サニー_西日本豪雨_復興プロジェクトスポンサー企業様一覧

Written by 小林繭子
Photo by Kondo Takumi

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