「サイコだけど大丈夫」5、6話あらすじ感想 家族は“葛藤の城”の王様
前回、全く違う状況に見えるキム・スヒョンとソ・イェジ二人が、実は近い存在だと示したところでつづく、となったが、今週はさらに二人の過去のつながりを見せる重要なエピソードとなっていた。
かなり特別な幼少期に見える二人だが、その抱えている大きすぎる葛藤は誰もが少しくらいわかる、と感じるものなのではないかと思う。
二人ほどではない。だけどその葛藤は、どちらも家族に基づくものだから。
家族という葛藤
その人がどんな人なのか、今何歳でどんな性格でどういう状況にあるかはそれぞれだけれど、どの登場人物にも過去があり、その根底にはやはり家族がある。
「ミッドサマー」のアリ・アスター監督はインタビューの中で家族についてこう言及している。監督の作品が美しい映像で本人は違うと言っていても、やっぱりホラーなのには、家族という恐ろしさを中心に据えているからなのかもしれない。
自分に安寧をくれる場所か、苦痛を与える場所か。人によって存在意義は違うでしょうが、どちらにせよ家族からは決して逃れられない。孤児として生まれた人々にとってさえ、家族の欠如ということが大きな意味を持ち始めます。古典を紐解いても、ギリシャ悲劇やシェイクスピアなど偉大な物語の多くは家族をテーマにしている。少なくとも自分の人生の中心には常に家族がある。家族は、自分にとって聖域でもあると同時に、罠として機能してしまうこともある。その存在をめぐる謎は増すばかりです。だからこそ映画を使ってその謎を掘り下げたいのかもしれません。一生かかっても解き明かせない気もするけれど。
韓国ドラマを見始めた当初、すごく感じたのは、両親(産んで育ててくれた)が健在、という登場人物がものすごく少ないこと。これまでかなりの本数見てきたけれど、ほとんどいなかったのではないかと思う。
両親が健在でも葛藤は無限に存在する。
誰もが複雑に絡まった感情が織りなす葛藤を抱えていて、一旦きっかけがあるとこんなにも大変なことになっていたのかというようにするすると解けてしまう。
どこかで強制的にブチっと断ち切るか、丁寧に縫いつくろわない限り、永遠にそれは気持ち悪くぶら下がっているのだ。
氷の中に落ちた兄を助ける!?
過去のあるとき、割れた氷の川(湖?)に落ちてしまった兄を見捨てるか見捨てないかで葛藤するシーン。結局飛び込んで助けるが、おかげで無事助かった兄は、助けを求める弟を見向きもせず立ち去る。
象徴的なシーンだと思う。「助けるか助けないか」家族にはこんな気持ちになることが小さいことから大きなことまで無数に存在していると思う。もしかしたらある時私は見捨てることを選んだかもしれない。例えばものすごく些細なことで。
小さいからいいでしょう、と思いながらも罪悪感を持ち続けたかもしれない。
でもそれは悪なのだろうか。
悪い人にはなりたくない、なのか自分の中の正義を貫きたい、なのか社会と両親から植え付けられた道徳心なのかわからないけれど、どこか自分を犠牲にしてでも他人を優先しなければという気持ちが存在しているような気がする。
他人のことなんて気にしない、関係ないと大手を振って歩いてみたい。
それはできないにしても、いいじゃないか、自分の方が大事だよ。自分を大事にできて初めて他人を大切にできる、そんな免罪符をそっと忍ばせて生きている。
それでも何かと試されるように訪れるのが、家族という葛藤なのだ。
葛藤を作れ!?
脚本を習い始めると、最初に言われるのが「葛藤を作れ」である。
そしてだいたいが、みんなその漠然とした教えに戸惑う。
「・・・カットウ? どういうこと。どうやって?」
よく知っている感情であるはずなのに、高校時代気がつくと自分の能力からはるか離れたところに存在していた数学以上に、ふわっと浮いている気がした。
知らないふりをしたい。
「ただあの映画のように面白い物語が作りたいだけなのに」
葛藤と本当に正面から向かい合うのはかなりきつい、そんな無意識の本能もあるのかもしれない。
このドラマは童話というだけあって、誰もが幼い頃から少しづつ積み上げている
家族という葛藤をグサグサっと見ているものに突きつけてくる。
何れにしても、このドラマで、二人はもう葛藤の城に入り込んでいった。
あとはどこかで断ち切るか、丁寧に対峙して、新たに織り直すしかないのだろう。
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