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「スマホ世代の境界」SNSが浸食する、私たちの個性と人生

要約: スマートフォンとSNSの普及で個人の境界が侵食され、様々な価値観に晒される現代。
SNSの情報過多が個人の成熟や幸福論を歪ませている問題について考えてみました。

こんにちは、はるかなです。今回は、私たちの日常に欠かせなくなったスマートフォンとSNSが、いかにして個人の境界を侵食し、私たちの人格や価値観に影響を与えているのかについて考えてみたいと思います。

かつて、スマートフォンもSNSも存在せず、情報が限られた時代。
個人の感性や価値観は、人生のステージ毎に熟成され、いわゆる年齢相応の個人が形成されていました。
しかし、今やスマートフォンを手に入れる早い段階で、SNSに触れ、上から下まで様々な価値観や出来事に日夜晒されています。

情報は便利でありながら、その洪水の中に身を置くことで、私たちは自分の個性や価値観を見失いがちです。
SNS上の情報に溺れ、他者の人生を妬んだり、自分と他者を比較してしまうことで、自分の存在を矮小なものと感じることも少なくありません。
これは、有名なライトノベル作品「涼宮ハルヒの憂鬱」に登場する主人公、涼宮ハルヒが子供の頃に感じた「他人の多様性」を感じるエピソードを思い起こさせます。

主人公であるハルヒは、幼少期にそれまで自分の周囲に居る人間こそが、世界で一番の存在であると感じていました。
そんなある日、ハルヒは家族と野球観戦に行き、帰り道を歩く中で溢れる人々を見て、彼らがそれぞれ独自の人生を歩んでいることを垣間見た瞬間、自分の存在を小さく感じました。
これは、他人の多様性を感じることで、個人形成に大きな影響を与えたエピソードであり、私はこのシーンが好きです。

なぜなら、このような人生のステージ毎の出来事が、個人の形成に良い影響を与えると思うからです。
しかし、現代のSNSであまりにも多くの価値観に触れすぎると、本来熟成されるべき自身の人格や価値観、自己肯定感や幸福論が歪になることがあると感じています。
言うなれば、自身の根底に土台が形成され切っていない状態。
ピラミッド状ではなく、ゲーム後半のジェンガの様な状態でしょうか。

SNS上で綺麗事や成功体験が過剰に共有され、他者の素晴らしさが目につく一方で、自分の未熟さや失敗が露呈されることで、自己評価が低くなりがちです。
他者との繋がりが増える一方で、孤独感を募らせることもあります。
真の孤独は砂漠ではなく、街の中にあるとは誰の言葉でしたでしょうか。

これらの問題は、スマートフォンとSNSの進化によって拡大されているように感じます。
常に他者と繋がり、情報に晒されることで、自分自身と向き合う時間が減り、他者の期待や視線に応えようとするプレッシャーが生まれています。
自身の価値観や自己肯定感を内面ではなく、外部に依存している状態ですね。

もちろん、SNSやスマートフォンが悪いわけではありません。友達や家族とのコミュニケーション手段として、多くの良い側面も存在します。
しかし、その裏で私たちは注意深く、自分自身を見失わないように心がける必要があります。
SNS上に居るのは、生身の人間とは限りませんよ。
味方とも限りません。

最後に、個人の成熟や人格形成には、他者との比較ではなく、自分自身との向き合い方が重要だと思います。
SNSやスマートフォンが提供する情報の洪水に飲まれないよう、自分の感性や価値観を大切にし、自分のペースで人生を歩んでいくことが大切です。
たまにはゆっくりと、自然に触れるのも一興かもしれませんね。
お散歩はおすすめですよ。
目的地に和菓子屋を設定し、甘味を頂くのも良いですね。
きんつばなんていかがでしょうか?
ゲーム「FORTUNE ARTERIAL」に登場する、東儀白さんがお好きな和菓子だった記憶です。

それでは、次回の更新でお会いしましょう。


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