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承認欲求モンスターに執着されやすい人

変な人に執着されることが多い妻。変な人というと言い方が悪いが、承認欲求が強い人に執着されることが多い。具体的なケースを紹介してみる。


1.何でもかんでも仕事にしてしまう人

趣味の旅行やイベントの開催レベルのことでも、何でもかんでも「○○プロジェクト」と称して、会社の仕事のように計画書を作り、○○担当のようにチームを作り、やたらウェブ上で打ち合わせを繰り返すことを好む。チームの中に取り組み方が緩い人がいると、「仕事なんだからきちんとやらないとね」と不満を漏らす。

もちろん、これはまったく仕事ではなく、ただの友達と遊ぶ計画の程度である。みんなでやるんだからきちんとしなければならない、という意識や、きちんとできること、仕事のように何事にも真面目に取り組むことが、この人の中での正義のようである。そして、他人を必ず巻き込む。みんなで何かをするのが好きなのだ。

2.自分の話を聞かせたい人

上記の人物1と似ている傾向だが、微妙に似ていない人がいる。複数名でグループを作り、定期的にイベントに参加したり、何かを鑑賞することを好む。この人は多趣味であり、自身の趣味の素晴らしさを他人に説く。それに他人が応じることを幸福指標とする。

たとえば、スポーツ鑑賞が好きで、スポーツ選手が好きで、海外まで追いかけてしまうような場合、その海外遠征に友達を同行させようとする。スポーツの試合を誰かと一緒に見たいので、仲間を付き合わせる、などといった具合である。

こうしたイベントの後に開催されるランチ会や飲み会では、自らの趣味に関するマシンガントークと、職場の愚痴のオンパレードを展開する。終電間際までオンステージは止まず、ヘトヘトになり同行者は帰っていく。

3.承認欲求モンスターを引き寄せるものとは

妻は自分がなぜ、こういう「承認欲求の強い人」に執着されるのかと疑問に思っていた。私も一緒に考えることにした。色々観察したり、言動を見ていく中で、一つの言語表現としてたどり着いたのが、以下のことである。

妻は好奇心旺盛で、なんでも吸収しようとする。先入観や固定観念なく何にでも関わろうとする「白紙のノート」のような好奇心を持っている。さらに、公務員時代の後遺症から、全体の人間関係を調整しなければならないという焦燥感に駆られ、それが他人に遜りながら関わることにつながっている。それは「白紙のノート」に対し、他人が落書きをすることを容認してしまうようなものである。

承認欲求が強い人は、自分の中で消化できていない欲望が抑えきれずに、他人を支配したり、執着したり、マウントしたりするものだと思っている。だから、自分のノートはもう書き込みでいっぱいな状態なのだと思う。自分のノートに書きこむことができないから、白いノートを持っている人を探して、自分色に染めようと近づいてくる。

承認欲求が強い人は、劣等感を持っている。だから、自分よりもレベルが高い人に囲まれることを嫌う。一方で、自分はこんなに有能な人と関わっているのだというステータスを誇示したいから、10人のうち上から2番目や3番目くらいのポジションで、その集団の上位層であるかのように振る舞う。

こうなると、常に自分よりも下の人と関わることが多くなるので、この人たちは自分の能力を過信するし、それを顧みることもないし、他人に対しては徹底的に批判的、侮蔑的な態度をとって見下してしまう。そして妻のように「白いノート」を持っている人を、「自分のカラーがない人」だと格下に見て、自分が導き教えてあげなければならないという思考に駆られる。これがターゲットになる構造だと考えた。

妻は田舎時代、細かいことで他人の批判をするモラルハラスメント型の人間に多くかかわってきたと話していた。それが今でも、こうした承認欲求が強い人の発する「完璧思考」「他人を服従させたい思考」に隷従してしまう傾向を誘発しているのではないかと考えている。

少しでも矛盾点があると批判される経験から、簡単なメモを一つ作るだけでも、誤字や矛盾点、誰かが悪意を持って意地悪な指摘をしてきたときに、理論武装できるような準備をしようと、完成した書類を何度も見直そうとする。履歴書や企画書など、他人が目を通すものを「否定されるもの」と捉え、肯定的な評価をすることができなくなってしまうのだ。

心配性と否定症は紙一重で、極端な自己卑下は他人の否定にもつながってしまう。自分だけを否定する、自分だけに厳しくすることなど、人間にはそう簡単にできるものではないし、モラハラを受けている本人が他人にモラハラをしてしまうことが少なくないのも、こうした連鎖が原因だろうから、この連鎖を上手く断ち切った方が、生きやすくなるだろうとは思う。

4.特に何も変える必要はない

ただ、妻がそういう傾向があることは仕方ないことであり、特に致命的なこともないから、無理に修正する必要がないとも思っている。時々、過剰に自分の作ったものや自分自身を否定的に言いすぎる時は、声をかけるようにしている。なぜなら、そういう委縮は承認欲求が強い人の欲求をさらに駆り立て、これらの人々が求めている格好のターゲットになるからである。

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