何のために先生がいるのか。
私に指導をくださった先生に聞いたことがあります。
「私たちが(指導について)学んだことを、親御さんも実践することはできますか?」
先生はちょっと考えたのちに、
「できないと思う」
と言いました。
私はこの意味をずっと考えていました。
親が直接子に学びを与えるのと、先生という人が指導をするのは何がちがうのか。
現在、私はライフコーチとして、色々な方の人生、価値観、未来に触れさせていただいてますが、私の経験上、
ありのままのその人を見る
というのが大事だと思っています。
「徹底的に相手の全てを認めること」から始めるのです。
私自身がコーチングを受けた時に感じたのが、
「『今』の自分から始めなければ、本物ではない」
ということ。
コーチングを受け始めたときは、
「こんな私のクソみたいな(笑)思想、性格でも変われるんだろうか…」と、内心心配していました。
でも、ここは私も経験者。
自己開示が遅れるほど、結果が出るのが遅れることもわかっています。
ここで取り繕ってかっこつけたら、いつもとかわらない!と、思って、自己開示100%でいきました。
そして、いざやってみると、いかにクソ思考(笑)であっても、そうなるまでに「自分なりに大切な理由」があるのです。
そんな大切なことなのに、自分でも忘れてたり、気付いてない。
しかも、そこが「自分の核」であったりもする。
さらに、なんとなく「そこ(核)がわかったら自己探究おわり!」と思いがちですが、そうではありません。
その核を変えるから、人が変わるのです。
人がかわるから、人生が変わるのです。
そのために、本当の最初を明らかにすることがいかに大事か。
話は戻りますが、
この「最初」を親子で築くのが大変なのかな、と思うのです。
私も偉そうに言ってますが、他人の関係から始まっているはずの夫にですら、その姿勢であたることは難しいです。
愛情
心配
不安
期待
自分の意見
みんなの未来
それらを振り切って、
「相手を独立した存在」として認める。
人生は「その人自身のためだけに用意された修行であり、ドラマ」なんだ。
そう思えるか。
それが親子だと難しいから、先生という人が、その子(人)のため、見守る親のためにいるのかな、と結論づけました。
私の指導の先生がどんなお考えだったかはわからないのですが、私が人と関わるときには、そうでありたいと思っています。
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