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楽に生きるヒント

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苦しくなく生きていきたいじゃない
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永遠を見つけてしまった

永遠なんてない そう思っていました 時間には限りがあって 変わらないものはない ずっと一緒にいようと思っていた人とは ずっと一緒にはいられないし 人の気持ちは移ろいゆくものだし 変わらずにいられるもの 永遠に続くものなんて一つもない 約束は不確かで 未来なんて約束されていなくて 永遠だなんて馬鹿げてる そう思っていたのに 『永遠』を見つけてしまいました

私ではなく、あなたが素敵なんです

素敵なのは誰でしょう 旦那様が死んで4年 私は周りの人に恵まれ 会いたい人、好きな人が沢山います 本当に沢山沢山いる 顔の見えない読者さんもそうだし 出会う人、出会う人どの人も素敵で それはどんどん増えていっています そして その人たちは 私のことを好きだと言ってくれる 「せせらぎってこうだよね」 「こういうところがいいよね」 「他にいない」 「相当に魅力的」 : : : 単純に嬉しい 何だか本当に褒められることが多くて その度に涙を溜めて 嬉しい言葉をいただい

愛と課金

好きなものにお金を使う それは尊いことだと思う 推しに注ぎ込むことも ゲームに課金することも 何も否定しません けれど その対象が自分に向いた時 「このようなものに、本当、お金とかいいから!」 「私のようなものがお金なんて取るなんて出来ない!!」 申し訳なさに溢れました それに対する対価なんて 私は与えることなんてできないから… 17LIVEというところから ライブ配信のお誘いをいただいて 誘われたものにはNOと言わない方針でしたが いわゆる『投げ銭システム』が

苦しい時ほど『嬉しいの種』を蒔く

私の人生は苦しい 大好きだった旦那様が突然死んで 幼い2人の子供を 1人で人生終わってもいいと思うほどの 大ストレスを抱えたまま 育てることとなった 何度も何度も 苦しさに倒れながら それを救ってきたものがある それは 自分自身 正確には 自分が行ってきたこと Livedoorで書いているブログが 公式化すると連絡が来た時 私は悲しみにのまれ 風呂場で裸で泣いていました。 風呂に入る直前にメールが届き 確認してから入ろうと 見てみたら 『公式化します!』と

人は別れるために出会う

『別れるのが人生さ』 春ですね 別れの季節 今の時期 たくさんの別れがいたるところで あるのでしょうね たくさんの涙が いたるところで流れているのでしょうね 次男のしーちゃんも この春卒園して 誰一人同じ小学校へ行かないこともあり 寂しいと涙ぐむこともありました それでも 昨今のSNS時代 卒業だからと言って 完全に会えなくなることもなく どこかしらで 誰かしらと 繋がっているものです それでも もう どうしても 繋がることの出来ない別れもある そういう別れは

私を信じている以上に周りを信じているんだ

私は自分に自信があります 自分を信じてる 本当に とっても もんのすんごく 一生を一緒に生きていこうと決めた 大好きだった旦那様が突然死んで 全てが真っ暗になった世界で 2人の子供を背負って ここまでやって来た自分を信じています そして それ以上に私は 周りにいてくれる人たちのことを信じてる 人を大事にした彼は 人にすごく愛されて 彼を愛した人たちが 私のこともたくさん助けてくれました 「決して素敵ではなかった私が 彼の残したものに守られている 彼の恩恵に預かって

私は大切にされるべき人間だ

人間関係の中で生きていくと 傷つくことがある うまくいかなくて 大切にされなくて 存在価値が否定されたような気になって 居場所がないように感じて それでも その関係にすがってしまう時がある こと恋愛に関しては どの人間関係の中でも その傾向が強くなる なんでダメなんだろう こうするからさ… こうしなければいい? どうしたら好きになってくれる? どうしたら大切にしてくれる? 相手の態度ばかり見て 相手の考えていることばかり考えて 言葉を飲み込み 相手に合わせるこ

綱渡りの人生よ

仲睦まじいカップルを見ると とても居た堪れない気持ちになる 幸せそうで何よりだ そう思う反面 とても羨ましくて 妬ましい気持ちが 湧き上がるのも事実 いいな ただそう思う 私にはもう無いもの 確かにあったはずなのに… もう 無いもの 安心して 信頼して 向ける温かな眼差しは その笑顔は 関係を築いてきた二人だから生まれるもの それは 私にも確かにあったんだ そして もう無いんだ 安心して帰る場所も 信頼して話す相手も 元から無かったわけじゃない

この世界はやっぱり残酷で悲しい

誰かが死ぬ度に思う なんて 悲しい世界なのだろうと 私たちの生きている この世界は いつも残酷で 悲しみに溢れている あったものは ある日突然に失われ もしくは これから失うのだと 突きつけられる そしてそれは 誰ひとり欠けることなく 全ての人に待っている未来 全員が経験する別れ 誰かに遺され 自分もいずれ誰かを遺していく 別れに涙を流し 痛みに喘いでも 世界は何も変わらない 誰が どこで どんなふうに 死んでも 悲しみに暮れるものを取り残し 世間は何

200%の気持ちをぶつけて何が悪い

私は全力で生きています 全力で生きている自負がある ゴロゴロする時も全力のゴロゴロ 望んでいることを口に出し 願っていることを口に出し 自分の想いを何でもかんでも口に出し 相手との間柄がまだ浅い時でも 全力で全開で自分を開きます いやいやいや 怖いから… 最初から200%の全力投球で行くのやめなさい 友人にはそう言われます 普通はね ちょっとづつ距離を詰めていくの 「お!ここまで話せる?」 「そんな感覚?」 「じゃあここまで話しても大丈夫?」 最初から思い切り

我慢するから我慢しない

『我慢しながら生きる』 私はこれを自分の人生に課せられた 油断したらいつでも流れ続ける涙を堪え 引きちぎれそうな心の痛みを抱え もたげそうな頭の重さに必死に耐えて それでも生きていかないといけないことを 私は神様に課せられた 一生を一緒に生きようと決めたパートナーが 前触れもなく死んだことは これ以上ない苦しみだった 鬱と死はいつでも隣にあり 今も呼んでもいないのに 友達かのようにいつでも隣にいる じっとこちらを見ていて いつそちらに足を踏み入れてもいいように 手ぐ

誰にもならなくていい

私は言葉を綴るのが好きで 自分の言葉にずっと救われてきました 大切な人が死んでから 救いになるような想いや考え方を ずっと探し書き続けてきました それを自分に落とし込むことだけが全てで それは生きていくために必要な作業でしかなかった いつしか その言葉は人に届くようになり 『自分』を生きる人生を考えた時に 言葉を届けて生きていける人になれたらと 思うようになりました そんなこんなを周りに吐露し始めるようになると じゃあ一体どんな書き手になりたいのか というリアル

苦しい時こそ、見るなら幻想と幻を

自分が「だったら良いな」と望む世界と 自分が「そうだったらどうしよう」と恐れている世界と どっちを考えていた方が楽しいですか? 人生とは苦しいもの 未来というものは 何が確証されているわけでもなく 一寸先は闇という言葉があるほど 未知の世界 実際、一寸先の大闇を経験しました 愛した人が突然死んで 誰が何を助けてくれるわけでもなく 真っ暗闇の中、泣きながら必死に子供達を担いで生きてきました 彼が死んで4年が経った今も 苦しくなったり、辛くなったりする時があります 割

正論というくだらなさ

私はいつか大きな声で言います 死んだ旦那に 「死んでくれてありがとよ〜!!!」 って。 そういう精神で生きています この言葉に よく知りもしない人は拒否反応を示すんだろうなと 何てことを言うんだって 私のことを取材してくれた記事が Yahooニュースのトップに上がって それはそれは多くの人の目に触れて それはそれは多くのご意見が出ました 温かい意見も多かった 真意をちゃんと理解してくれる人もいました でも この言葉だけを見て否定する人も多かった というか こ