Right, there is nothing …… 022
_お茶と日暮里
以前、新大阪駅新幹線ホームにある売店で、お茶を買おうとしたときのことだ。
おねえさんにお茶をくださいとつたえると、おねえさんはすこし奥のほうへと小走りで向かい、「どのお茶にしますか~」みたいな質問をしてきた。
私は、その頃、伊藤園の「お~い、お茶」をひいきにしていたので、まようことなく、その銘柄をつたえた。
しかし、おねえさんが奥へ行ったことにより、私との距離が、まさに「お~い」と声をかけるのにぴったりの距離になっていた。
なので、私は、初対面のおねえさんに向かって、まるで亭主のように「お~い、お茶!」と要求したかたちになった。「(おい、きみ)お~い、お茶!」だなんて。
にもかかわらず、おねえさんは「は~い!」って。
そんなあ。
東京に来て、常磐線にのっていたときのことだ。
そのときは知り合いとふたりで乗車していた。そして、日暮里か上野でおりて山手線にのりかえようかと相談していた。そして、日暮里に着いたときのことだ。
ふいに相手の姿が消えてなくなった。
どこへ行ったんだ? 電車をおりたのか? まだ、なかにいるのか?
しかし、人が多すぎて、あたりを見まわしても、どこにも見当たらない。
私は、いらいらしながら、扉から顔だけ外に出して「どこやねん」とつぶやいた。
小声でつぶやいたはずだが、知らずしらず、そこそこ大きな声になっていたのだろう。
「どこやねん」「ほんま、どこやねん」とつぶやいていたけど、ぜんぶ、そこそこまわりに聞こえていたのだった。
扉の近くにいた女性が、親切に、小声で「にっぽり」と教えてくれたのだった。
最初、その意味がよくわからなかったけど、駅の名前を教えてくれたのだなとわかり、つづいて、「どこやねん」を「ここ、どこやねん」と、私がひとりでぼやいていると受け取ったのだなとわかった。
私は、その女性の親切な態度に感謝し、「あ、いえ、すみません」と笑顔でこたえた。
でも、問題はそうじゃなくて、さがしている相手がどこへ行ったかである。
ふたたび、私は「もう、どこやねん」「ほんま、どこやねん」と、今度はさきほどよりもせっぱ詰まった声を出して不満をあらわにした。
すると、また、その女性が「にっぽり」と教えてくれた。
「にっぽり(ですよ)」「にっぽり(だって)」という感じで。
「あ、いえ、ありがとうございます(でも、ちがうんです)」と、私はこたえた。
そして、扉が閉まるまえに、私は日暮里駅で下車したのだった。
行方をくらましていた相手は、階段のほうへと歩いていったらしくて、そこでのんきにつっ立っていた。
その顔は、「にっこり」としていた。
2010年5月19日 セサミスペース M (Twitter)
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