パワハラ上官ナポレオン⑤付:セクハラ編
副官ではないのですが、そしてこれはセクハラでいいのかわかりませんが、部下に対する何らかのハラスメントであることは明らかなので、ご紹介しておきます。
フーレ中尉
Jean-Noel Fourès
新婚の中尉
新婚のフーレ中尉(彼は騎兵だったようです)は、妻と別れがたく、新妻はこっそりと猟騎兵の格好をして、エジプトについてきました。
アレクサンドリアからカイロからの過酷な行軍に耐えたフーレ夫妻。亡くなった兵士も多い中、彼らは誠に頑健というか、幸運でした。
→ 砂漠の行軍
重要な任務
そんなある日、フーレ中尉 は、祖国フランスにメッセージを送る任務を拝命しました。非常に大切な任務なので、妻を連れて帰ることはできません。
ところがエジプトを出たフーレ中尉の乗った船は、イギリスの軍艦に拿捕されてしまいます。
仲間はみな、捕虜として牢獄へ送られますが、どういうわけかイギリス艦の指揮官は、フーレ中尉にだけは親切心を見せます。彼はフーレ中尉をエジプトの浜辺まで送り届け、にやりと笑ってこう言います。
「幸運を祈る」
果たして、愛する妻は、ボナパルトの囲われ者になっていたのでした。
この後、フーレ中尉がどうなったかはわかりません。総司令官が間男では相手が悪いと慰める仲間の顔が、目に浮かぶようです。
シドニー・スミスの応援
この愉快なイギリスの指揮官は、どうやらシドニー・スミスだったのではないかと私は推測しています。
→ ボナパルトの火遊び2
彼は相手に悪い印象を与えるのが得意で、彼のせいで上官が病気になってしまったり、頭に蒸気が湧いているのだと酷評されたりしています。
→ シドニー・スミス毀誉褒貶
もちろんネルソンも彼をけちょんけちょんに言っていますが、最終的にスミスを評価しています。
けちょんけちょん → 地中海の指揮権2
スミスを評価 → 叱責
けれどスミスは、周囲の評価を全く気にする様子もなく、76歳まで生きました。ストレスを感じない、幸せなタイプなんだと思います。
彼は、私のオシの一人です。
ポーリーヌ
12月1日(1798年)、蜂起の混乱が収まった頃。カイロで気球の打ち上げが行われました。ボナパルトがポーリーヌに目を付けたのはこの時です。
邪魔な夫がいなくなると(ボナパルトが追い払ったわけですが)、ボナパルトはさっそくポーリーヌを食事会に招待しました。もちろん、彼女一人ではなく、数人の女性たちと一緒に、です。
食事会の席上、ボナパルトはうっかり彼女のドレスに水差しの水をこぼしてしまいます。ドレスがぐしょ濡れになってしまった彼女を、彼は、着替えと称して司令官室に招きます。
下手な手です。いっそキモチワルイというか……。
それ以後、ボナパルトは彼女を、「クレオパトラ」「ラ・ジェネラル La Générale」と呼び、寵愛しました。("La" は女性名詞につく冠詞です)
やがてボナパルトの帰国の日が近づきました。
もちろんポーリーヌは、愛人ボナパルトに同行するつもりです。
これから大きなことをやろうというボナパルトです。祖国の妻は寝取られましたが、自分は清廉潔白でいなければならなりません。麾下の大尉から取り上げた情婦を同行することなどできません。
彼は、騎兵の姿に扮装した彼女を別の船に乗せました。それは、アメリカ行きの船でした。ボナパルトはていよく彼女を新大陸に追い払うつもりだったのです。
ミラー大尉のテセウス号
しかし、彼女の乗った船は、またしてもイギリス艦に拿捕されてしまいます。今度は、ミラー大尉のテセウス号の出番でした!
その後のポーリーヌ
こうしてエジプトへ送り返されたポーリーヌは軍と一緒に帰国しますが、ボナパルトは頑として彼女に会おうとしませんでした。(大分経ってから会った模様ですが、二人の間が復活することはありませんでした)
ポーリーヌは二度の再婚をし、また彼女には実業家としての才もあったようでブラジルで財を成し、老後は、音楽家、画家、絵画収集家として、また小説を上梓したりなどして、楽しい余生を送りました。
ポーリーヌ・フーレに関する詳細は、「ボナパルトの火遊び2」〜 ご覧ください。
ご案内
パワハラ・モラハラ・セクハラ? を切り口にしたエジプト遠征こぼれ話は以上になります。この辺りは面白がって調べたのですが、小説に使う機会はありませんでした。
ご興味を持たれた場合は、記事の各所にリンクを貼ったブログで、詳しく解説しています。
そして、よろしかったらどうか是非、小説の方にもお運びください。史実に敬意を払っています。
全くのフィクション(捏造)、ファンタジーもございます。こちらは BL ですが、サイトの規約で R18シーンを抜いた仕様になっています。
各話リンク
パワハラ上官ナポレオン⑤:フーレ夫妻(本記事)
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