熱狂の修士時代:院試編
ぼくは研究者として生きていくしかない状況にありました。なぜなら、
大学を2回留年、卒業後1年間ニート。大学へ入学する前に1浪していますのですんなりいった人と比べれば4年遅れていたわけです。
まともに就職できるはずがない。ましてや有名な就職氷河期。
ま、いいか。と思っていましたが当時根城にしていた嫁さんのアパートで嫁さんの寝顔を見るに「将来この女と子供をもうけるかもしれない。その子に『お父さんは大学へ行ったんだよね?何を学んだの?』と聞かれたらまずい!」と単純に恐怖をおぼえました。
で、なんかしよ。となったわけ。
院試
留年しまくりのため出身校の大学だとさっきまで後輩だったやつが先輩になっちゃうからイヤなのと関東から出てみたいというくだらない理由で「ま、北海道か信州かな。」受験日が早かった北海道に決定。
ぼくの出身大学は日本一留年が多い大学として有名なだけに「大学院へ行くのは出家するようなもの(真言宗)」くらいの意識でいました。
なので大学院の入試なんてほんとに血で血を洗う恐ろしい闘いだと思い込んで、ぼくの脳が活性化する19時から勉強、3時にお散歩。少し勉強して5時半就寝。
夜中の3時でも起きていてなんかしている人が多いんだなあとか、けっこう楽しかった。
院試当日
札幌の地理なんてなんにも知らないし、東京もんなので「地下鉄乗って試験行くくらい当たり前だよね」と、全然関係ない土地にホテルを取り当然スマホもないので迷子。
とりあえず宿に着き疲れで寝てしまいました。翌朝。緊張でゲロゲロ状態。しかし、なんも食べないで試験に臨めばいろいろ困るだろうと立ち食いそば屋でカレーを頼んだところ鬼盛。
申し訳ない。残した。
院試
科目は3科目。英語、あとは好きな専門科目を2つ選んで好きにやるという形式。
英語は「ま、これくらいのことはしてくるよね。」と思っていたら後ろの席のやつ、スクールウォーズかと思うくらいのガチ白紙答案!「なぜ?」罠か?
次。専門。
簡単すぎる。。
はっきり言って底辺大学の入試レベル。ニートしながら塾で教えていた(だから正式なニートではないのかな?)のでよくわかった。しかしさらに罠だと思った。
「これは…満点を獲らないとダメなやつか。おれ、いつも97点とかなんだよな。。」胃が痛む。
面接
控室で待つ。おっぱいすげえでかくてかわいくてマジやりたい娘がいた!
まあ、それとは別にお互い知った仲の者も多かったようで前日の筆記試験に関して「あれさ、8だよね?」とか完全に間違ったことを言い合っていた。罠だと確信。
なんかいつまでたっても呼ばれないので面倒になって帰ろうとしたらなんとさっきのおっぱいが走って呼びに来てくれた(すげえ揺れていた)。「呼ばれてます!!」「あ。そう。」といってみたものの、ホントはドキドキしていた。
連れ戻されて面接。
偉そうな人「君はなぜ帰ろうとしたのかな?」
おれ「(うるせえないつまでもおれ様を待たせるからだよ。うんこじじい)て、手順がわからなかったもので。」
偉そうな人「君の筆記試験成績は合格基準に達している」(それ言うか?面接で。罠だな。)
おれ「僅差であったかと思います(確実に罠だな)」
偉そうなじじい「ほかに受けているのか?」
おれ(うるせえよカネがねえからここだけだよ)「貴学一本であります!!」
結果
貧乏な実家(マンション管理人室)に教授から電話。「お子さんは大学院試験1位です。奨学金は約束します。」
母「要りません。借金はイヤです。」
殺すぞくそばばあ。
ま、そのあといろいろいろいろ目くるめく楽しい大学院生活があったのでチャラですね。
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