小説 : 彼女が生きた理由。
屋上に君を見つけた。
ああ、やっぱりまたここにいたのか。
夕日が眩しくて、懐かしさに浸りながら
「夕日、綺麗だね」と言って彼を見ると、
彼はまっすぐ私を見ていた。
「どうしてここに?教室行くって言ってなかった?」
彼はフェンスにかけていた手を下ろして私に聞いた。
彼の腕には、幾つもの傷跡が目立っていて、今日はやけに
物語っている。
にっこり微笑む彼に、私の心は痛かった。
「君に聞きたいことがあって」
「…聞きたいこと?」
「うん」
くるんと回って後ろに三歩。
ゆっくり深呼吸して胸に手を当てる。自分の心臓の音に安心した。
彼は私の言葉を待っていてくれている。
優しいね。
「私のこと、好き?」
「え…なんで急に?」
「私は君のこと好きだよ、君はそうじゃないの?」
「だから、何でいつもそう急に言うんだよ」
「ねえ、好き?」
食い気味に言うと、彼は少し黙った。そして口元を隠しながら、
恥ずかしそうに「うん」と頷き、私を見る。
いつもは「はいはい、またその話ね」って誤魔化すのに、
こういう時だけずるい人だ。
そっか、私は…。ああ、やっと終わるのか。
嬉しいのに、寂しい。
「嬉しい、好きになってくれたんだね」
「うん、好きだよ」
そっか、好きなんだね。本当にそうなんだ。
このまま時間、止まってくれないかな。
うわ泣きそう。
泣かないって決めたんだから、最期までしっかりしなくちゃ。
「じゃあ、私は君の中に戻らなくちゃ」
「え…どういうこと?」
「私は君のために生まれてきたから」
「僕のために?」
「そうだよ」
「なんでそんな話になるの?言ってることよくわかんないよ」
「私はね、君の『好き』なんだよ」
「…え?」
彼は不安でいっぱいの顔を浮かべている。
私は、彼にできるだけ安心してもらいたくて、
できる限りの笑顔を作った。
「私はね、君の『好き』っていう感情なんだ。
まあ今で言う感情の擬人化?みたなものかなあ。
もともと君と私は一つだったんだよ。でもね、ある日神様が私に言ったの。
『彼は自分のことが嫌いで嫌いでたまらなくて、いつか壊れてしまう。
だから貴方が彼自身を愛し、彼が自分を愛せるその日まで、彼のために
生きなさい』って。だから、私は君を好きになって、君に好きになって
もらえるように頑張ったってわけ。だからね、私が君の中に戻ることで
君は完成する。もう、死のうとか思わなくていいんだよ」
「僕の『好き』…完成って…」
彼の目はキョロキョロ泳いでいた。困ったときに出る癖だ。
「何言ってるんだよ、僕と一つとか」
そうだよね、ごめんね。意味分かんないよね。
でも私もなんだ。
「ねえ、さっきまた飛ぼうとしてたでしょ、バレバレだよ?」
「今はそんな話して…」
「私は君の一部だからね、君のことはよく分かる」
彼は諦めてずっと黙ったまま、ただ私を見ている。
彼はまだこの状況をよく分かっていない。
それは無理もないことだろう。でも彼自身、何もできることはない
ことが分かっているみたい。
好きな人が自分って理解追いつかないよね。
でも彼が私を好きだと言ったのだから、もう私に残された時間は少ない
だろう。
『神様、あともう少しだけ私に時間をください』
そう願いながら、私は彼を抱きしめた。
自分の手が震えそうになるのを我慢して、強く強く言い聞かせた。
「君は私がいないとだめだね。でも大丈夫だよ。
これからはずっと一緒だし、私がいれば君は自分のことが
大好きになっちゃうから」
声、震えてなかったかな。私、うまく笑えてるかな。
彼の温もりが私を包んでる。私、まだ生きてる。
「嫌だ、わかんない。わかんないよ。僕は…」
彼の涙が私の肩を通り抜けた。
自分の身体が透けていくのがわかる。
もう、彼を抱きしめているのかもわからない。
ああ、こうやって消えてくんだなあ、わたし。
でも最後に一言だけ、これだけは言わせて。
「僕は貴方を」
「私は君を」
「愛してる」
彼女がそう言うと、僕の目の前には何もなくなっていた。
ただ、胸が温かくて、嬉しくて悲しい。
僕は自分を抱きしめたくてたまらなくて、泣きながら胸を掴んだ。
屋上のフェンスを見ても、もう死のうなんて感じない。
今まで、自分の中にあった深い闇のような感情はどこかに消えてしまった。
彼女が言っていた言葉を今、ちゃんと理解した気がする。
思い出したんだ、あの日のことを。神様は僕のところにも来ていたんだ。
あの日、神様は僕に『貴方のことを好きだと言ってくれる人を大事にしなさい』と言った。なぜ忘れてたんだろう。
彼女が僕を好きなこと、僕が彼女を好きになったことは偶然じゃない。
神様に決められていた運命だったんだ。
彼女は僕の『好き』になってくれた。
だから僕はこうして生きている。
嫌いな僕と、好きな彼女。好きと嫌いはいつも隣り合わせ。
僕と彼女は愛し合って初めて一つになれる。
僕は彼女からもらったものをなくしてはいけない。
彼女が生きた理由を、
僕は無駄にしてはいけない。
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