第5球 失った約束
勝負は、双方から3人が出て、ホームランの的がある奥の面に当たればヒット。手前のピッチングマシンのある面や床、左右のネット、天井に当たったらフライやファール、ゴロとしてすべて失敗となる。奥の面に当たった3人の合計ヒット数で競う。
「じゃあ俺らから……」
見たところ高校球児のようだが、そこまで野球に打ち込んでないのがすぐにわかった。
腕だけでバットを振っているひと。腰の回転を使えているけど重心移動がうまくできておらず、全体的に差し込まれ気味のスイングをしているひともいる。3人目は重心移動まではできているが、タメ動作の際の軸足が歪んでいて、スイングが安定していない。3人とも野球はやっているが、しっかりとした指導をこれまで受けてこなかったのだろうと思う。
「14球か、まずまずだな」
ひとり25球なので3人で75球中、奥の面に当たったのが14球。打率に換算するなら1割8分。ヒット性の当たりも数えるなら3割近くはヒットを打てていたと思う。
彼らはさっき時東さんのバッティングしか見ていないから高をくくっている。他の女子もみんな似たようなもんだと思い込んでる。
このバッティングセンターはケージが7つあり、ちょうど真ん中に当たる4番目のケージで勝負をしている。
85キロ、95キロ、110キロと3段階のストレートと80キロの縦カーブをランダムに投げてくるケージなので、他よりも難易度は高め。
「じゃあ、私から始めるね……」
天花寺 月、野球初心者とは思えないほどのミート率。フォームも昨日と比べて格段と良くなっている。僕が教えたわけじゃなく、ネットやテレビで昨夜のうちに調べたんだと思う。でも、調べただけで身体がその通りに動くってこと自体、末恐ろしさを感じる。
次に火華・ソルニット、中学時代はやってなかったと言っていたが、ブランクを感じさせない打撃。天花寺さんと火華さんのふたりだけで、14球も奥の面に当てた。
「は、ははっ……でも、最後はオタクじゃん?」
「そっ、そうだよな、あいつが奥の面に1球も届くわけ……」
ガキンっとバッセン内に豪音を響かせる。
亜土さんほどではないが、僕だってシニア時代にホームランを何本も打ったことがある。
やっぱり身体が鈍っているな。
ストライク枠や球種、球速さえも制限された環境で5割も打てないなんて……。
25球中、12球。他のふたりと合わせると26球。打率に換算すると、3割4分。ヒット性の当たりもカウントするなら5割に届いたはず。
「では、撮影しましょうか?」
「ふっ、ふざけるな、誰がやるかよ」
まあ、天花寺さんも本気ではないだろう。
実名や顔を出して「女子に負けました」なんてSNSに載せたら、彼らが通う学校で笑いものになっちゃうし。彼らが素直に負けを認めて謝ってくれたらそれで終わりだった。
そこまでなら笑い話で済んだはずだったのに……。
男子球児は冗談に聞こえなかったのか、天花寺さんの手にあったスマホを叩いて弾いてしまった。弾んだ先で火華さんがキャッチしてくれたからスマホは無事だったが、ちょっと洒落にならない雰囲気になってきた。
「うぐぅぅ」
「月にあやまれ」
「お……おい、俺たちが悪かった……頼むソイツを放してくれ」
大門さんが、弾いた男子の胸ぐらを掴んで片手で持ち上げた。それを見た他のふたりは顔を真っ青にした。
「ちくしょー、覚えてやがれっ!」
「そんな義理はありませんよーっだ!?」
天花寺さんがアッカンベーをしたのだが、これがまた何というか、めっちゃ可愛く見えた。普段は見せない天花寺さんの小悪魔的な表情って、かなりレアだと思う。
結局、どこかの高校の男子野球部員はバッティングセンターから走り去り、問題は解決した。
電車に乗って自分たちの街に戻った僕らは駅の出口で解散した。
「同じ方向だね」
「え……うん」
天花寺さんと大門さんが、同じ方向に歩いている。
「そうだ。志良堂くんもこれからウチの食堂に来ない?」
昨日約束していた1年間食事大盛り券を利用して大門さんはこれから食べに行くらしい。まあ帰り道が一緒ならいいかも。っていうか、すごく行きたい。
この時間だと母が夕飯の準備を始めているだろうから、朝食に回してもらうようLIMEの家族グループチャットに連絡を入れておいた。すぐに既読がついて、妹が「誰と食べるのですか?」と聞いてきたので、相手は友達だと返したら「おにいさまにご友人が!?」って、ちょっと失礼なことを書かれた挙句、目が飛び出しているアニマルキャラのスタンプが送られてきた。
「ここ……ですか?」
「うん、そうだよ、食べたことある?」
「はい、すごく……あります」
ぎこちない返事になったのは、知りすぎていて怖かったから。
駅からだいぶ離れたところにある昔から商店街に並んでいる食堂。実は、母とこの食堂のオバサンが高校時代の同級生で、小さい頃から家族で何度も訪れている。
「いらっしゃーい、あら、月のお友達?」
「うん、大門亜土さんと志良堂太陽くんだよ」
「志良堂? あら、陽子の息子さん、大きくなったわね~」
「ど、どうもご無沙汰してます」
最後にこのお店に来たのは5年前。世界中で広がったパンデミックの影響で、しばらく足が遠のいていた。
食堂の奥にある仕切りのついた席に落ち着くと、大門さんが、メニューを見ずにノールックで注文を始めた。これはかなりの常連さんだ。
「じゃあ、僕は天津飯を」
「うん、ちょっと待ってて」
天花寺さんが、母親に注文を伝えてくれた。
久しぶりに食べるけど、味は変わってないといいなぁ。
この商店街は郊外にできた大型ショッピングセンターに客を奪われてしまい、今では半分以上のお店がシャッターを下ろしている。
そんな中でも駅からちょっと遠いけど、その美味しさを武器に今もこの場所でお客を引き寄せている。
「志良堂くんって、4、5歳の時に私と会ったの覚えてる?」
3人とも食事が運ばれて、食べ終えたが、大門さんが大盛りのラーメンを平らげた後、当たり前のようにおかわりを頼んだ。そのため、天花寺さんと僕は何気ない会話をしていたら、突然びっくりするような話を振ってきた。
4、5歳の頃に?
こんな可愛い子に会ったら覚えていそうだが、残念ながらまったく記憶がない。
「えっと……」
「この近くにあるカエルのトイレがある公園で会ったよね?」
たしかにカエルの形をした珍しいトイレがある公園がこの近くにある。僕は物心ついた頃から両親に連れられてよく遊びに行っていたのを覚えている。
「ゴメンなさい、ちょっと記憶が」
「赤い帽子を被ってちょっと高いところに登って『てだ参上!』ってやってたよ」
それは僕だ。
レッド戦隊という、スカーレット、ローズ、ルージュ、カメリア、バーミリオンという赤い隊員がいっぱいの戦隊ものが流行っていた頃、6人目の戦隊員になるべく公園で日々、秘密の特訓に励んでいたのを思い出す。
「それなら僕です」
「そっかー、私のこと忘れちゃってたんだー、ちょっとショック」
この商店街の通りを挟んで小学校の校区が分かれている。天花寺さんが隣の小学校だったのであれば、中学校で一緒になるので、天花寺さんが言っていることに間違いはないんだろう。それにしてもきれいさっぱり記憶がない。
中学校に上がってすぐに天花寺さんを見て、心の中で「こんな綺麗な子が世の中にいるんだ」ってずっと思っていた。
「そっか……じゃあ、あの約束も覚えてないんだ……」
「えっ?」
ムスッとしているのか頬を少しだけ膨らませて、えくぼができている。中学時代の3年間、ずっと遠くから見てきたけど、こんな表情は初めて見た。
「どんな約束をしましたっけ?」
「むぅぅ、やっぱり、私だけ覚えてるのなんか悔しいから教えなーい」
「え~~~っ」
なんだろう。
いったい天花寺さんとどんな約束をしたんだ僕?
カエルの公園で覚えていることといえば、年上の名前も知らないお兄ちゃんと遊んだこと。そのお兄ちゃんはなんでもできて、忍術が使えると言われてすっかり信じ込んだ僕はお兄ちゃんの弟子になって修行したのを覚えている。
「そろそろ私のこと、月って呼んでくれる?」
「えっそれは……」
「イヤ?」
「そんなことは、ないです」
「敬語も禁止で」
「えっ、はい……うん」
すごく恥ずかしい。でも、天花寺さん……月さんがそう言うなら頑張ってみたいと思う。
「亜土って呼べ」
「うわっ、びっくりした!」
大門さんが、ようやく2杯目を食べ終わって、つまようじで歯をシーシーしながら、急に話しかけてきた。無言で食べていたから、また置物かなにかだと思ってしまっていた。
「うん、亜土、よろしくね!」
「太陽、お前も亜土って呼べ」
「はい……うん、わかった亜土」
月に亜土、か……明日からみんなの前で彼女たちを下の名前で呼べるのかな僕……。