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77歳で働く母に、自分の現役時代は好きに設定していいと励まされる

 今年の3月に77歳の母はパートタイムの仕事を引退します。
お役所の外郭団体がJR駅に隣接する観光案内所と、その上にある個室の
管理をする50代以上の男女を募集したのは2000年頃だったかと思う。
実家から徒歩5分以内の立地の良さに惹かれ、本人いわく「何となくやれると思った」勢いで履歴書を送った母は、それから20年同じ職場で働き、最古参のメンバーとなりました。スマホは持っていないのに、職場のパソコンでの管理業務や防犯処関連の操作は何故かできる。そんな彼女をみていると、良い意味で常識が覆されます。
 「働くのが好きだった」とさらりと語る母の、仕事に対する忍耐力や継続する力を果たして自分は持ち合わせているかといえば、未だ心もとない。
私の場合は元夫と母の強い希望に押される形で、出産後10年の間専業主婦をしていました。就業年数では今のところ、彼女には到底及びません。
かといって専業主婦時代を悔やんでいるかというと、それも違うといえる。あのときの決断は、私を含む関係者全員が、最善を望んで選択したもの。
 有難いことに、本人さえあきらめなければ、人生では大概の事柄は取り返しがつく。だから先走って絶望や落胆をする必要はないのです。

 「もう〇〇歳だから」の考え方から解放されると、世の中には例外のケースや、既存の概念を超えた人物が数多く存在していると気づきます。
40代半ばを過ぎてライターになった私でも、母と同じ年代まで活動すれば、新卒で就職した社会人と大体同じ年数を職業人として生きられるはず。
そう考えると何だか嬉しい。人生100年時代だし。
 業界によっては30代で年長者扱いをされ、感性の錆びつきや停滞、行き詰まり感を早くから持つ(持たされる)ひともいるかもしれない。でもこれからは、前職・年齢・性別は関係なく、既存のルールを外れたやり方も1つのスタンダードとして受け入れられる時代になる気がします。外側に求めるよりも、まずは自分を極めていくと、その過程を面白がってくださる方が現れたり、集合意識にアクセスして何やら新しい仕事やつながりが生まれたり。全てを取り払った個人同士「おのれ対おのれ」が、隣に腰かけて話す世界が現れる予感を感じるのです。だから、むやみに心配する必要はないかと。
(こう書いて我ながら呑気だと感じるけれど、これこそが良くも悪くも他の世代をイラッとさせる、バブル世代のとぼけた能天気を表しているような)。

ともかく大器晩成という熟語もあるし、私はそちらを目指すことにしました。そういうわけで自分自身ウィークポイントだと自覚する「粘り強く1つの物事を続ける」スキルを身につけるため、今年はnoteの更新もできる限り行います。



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